唐津湾に遊ぶ


行楽・イベントシーズン到来。きょうは、芥屋地区の運動会を残念至極であったが欠場し、「第1回唐の津ハーバーフェスタ」に出かけた。このフェスタは、今年度の「地方の元気再生事業」の支援を受けて行われているものである。事業の構想策定にいくらか参画し、実際の事業においても観光戦略のとりまとめのお手伝いをすることになっているためだ。
「お城が見える湾でヨット競技・体験ができるハーバーは世界中で唐津だけ!」という触れ込みで、ヨットの世界における唐津市の実績と地の利をいかしたまちづくりを行うというプロジェクトである。年度中に数回、市民をヨットハーバーに誘うイベントが行うなかで、「海」と「ヨット」を中核とした観光開発のありかたを考えていくこととなった。
唐津市には、県の教育委員会が設置した、佐賀県ヨットハーバーがある。このハーバーは、日本を代表するセイラーを数多く育ててこられた松山和興コーチ(県ヨット連盟理事長)や、これまで3回のオリンピックに出場した重由美子さんといった人たちが、文字通り人生を賭けて作り上げてこられた、セイラーにとっては「聖地」のような存在である。日本オリンピック協会のヨット競技強化施設でもある。それも、唐津でヨット競技が始まって、まだ30年あまりしか経っていないというから驚きである。来年、夏には、レーザーラジアル級ヨット世界選手権大会が開催される。と、エラそうなことを書いているが、じつは今回、唐津にかかわりをもつまで、唐津にこんな全国に誇ることのできる指導者と人材育成拠点が存在することをまるで知らなかった。
こんな、ふだんは市民に開放されることがほとんどないハーバーにおけるイベントを、見事な秋晴れとおだやかな海、そして目の前の唐津城、点在する島々の眺めを楽しみながら、日がな満喫した。最高は、マリンスポーツ体験として参加したクルーザー体験であった。マリンスポーツ体験はクルーザー、シーカヤック、ゴムボート、無人島体験、ペーロン、小型ヨット、バナナボート、アクアスキッパー、イカダと全体で9種類も用意されていた。
小型のヨットに、ライフジャケットを着けて、USIの加藤君、藤田さんとともに乗り込んだ。ガイドは、ハーバーのヨットスクールに所属する、地元・唐津西高校のかわいらしい女子高校生(3年生である)。日に焼けた、とても健康的な笑顔が印象的だ。同船した4人のなかでもっとも小柄な女子高校生にすべてを任せ、40分ほどセーリングを楽しんだ。彼女の指示に従って、何度も方向転回をしながら海上を静かに帆走し、おだやかな風と波に揺られ、まさに至福のときであった。
もちろん、ヨットの世界に生きる女子高校生との帆走など二度とないチャンス(笑)。初めはさりげなく、次第にお節介モードで、洋上ヒアリングとあいなった。「ハーバーでヨットを学んでいる高校生は何人くらいいるの?」(→唐津西と唐津東あわせて30人くらいです)、「年に何日くらい海に出ているの?」(→時化の時以外は毎日です)、「乗り始めて、どのくらい経って自信がついた?」(→4ヶ月目くらいです)、「途中でやめる子は結構いるの?」(→います。やはり、体力的に大変な時もありますから)、「大学でもヨットをやるの?」(→やります! ヨット部のある大学にいくつもりです)、「将来はどうするの?」(→ふつうの仕事につくつもりですが、ヨットは続けたいです)、「ヨットに出会ってよかったね」(→そう思います)、「ヨットをやってると、普通の男の子が頼りなくなるかもね?」(→そうでしょか?)、「付き合い始めたら、男の子をヨットに乗せて、肝っ玉をはじめ総合チェックしたらいいかもよ?」(→(^_^))・・・
高校生が、堂々とセーリングの世界をガイドし、安全に気を配り、ロープをにぎる手を休めることなく、大人たちの質問にスポーツマンらしいケレン味のない受け答えをしていく ─ 。この「海の学校」で高校生たちは、ヨット操作技術だけでなく、自然の摂理そのものを学び、あらゆる環境のなかで動ずることなく判断を下していく力、仲間への気遣いといった、いわば人間力の根っこの部分をしっかり涵養しているのだ。こうした全人的な学びの場が、小さくも存在していることを知り、無性に嬉しくなった。ヨットを後にした時の気分の爽快なこと。半ば義務感での参加だったことに恥ずかしさを覚えずにはおけれなかった。
そして、家に戻ると早速、ハーバーのことをインターネットで調べるうちに、アトランタオリンピックで銀メダルをとった時のことを記した重由美子さんの素敵な文章に出会った。「自然を読み、波と同化し、見るものを圧倒させる。その先には必ずメダルが見えてくる。メダルはただの御褒美だ。メダルを追ってはならない」「風を追わなくてはならない」。物事の本質に向き合ってきた、こんな先生に指導をうけることのできる生徒は、幸せだとしみじみ思った。
唐津に通う楽しみが膨らんできた。


アトランタオリンピックに出場して(重由美子)                         
あの時と同じ思いだけはしたくなかった。あのとき、そうバルセロナオリンピック
初日、思いがけずトップをとり一躍メダル圏に入る。オリンピックを目指す人なら、いやスポーツをする人なら誰もが夢見るオリンピックでの金メダル。その夢が目の前に見え隠れしてくる。この私が本当にメダルが取れるんだろうか。そんな不安をよそにレースは刻々と進んでいく。風ではなくメダル圏にいる相手を意識したコースをとっていく。風がだんだん見えなくなってくる。ついに、メダルという化物を追うがゆえに深い森の中へ入っていき出口を見失ってしまった。もう追えない。メダルの夢をあきらめた最終レースだけが自分に対して納得のいくレースだった。悔しいというより、目先の欲得に縛られ、自分を見失い、大好きなヨットレースの神髄が味わえるオリンピックをこんな形で終わらせてしまった自分が情けなかった。

自然を読み、波と同化し、見るものを圧倒させる。その先には必ずメダルが見えてくる。メダルはただの御褒美だ。メダルを追ってはならない。風を追わなくてはならない。自然に素直でなければならない。周囲の期待が高まり、取材が加熱し、オリンピックの独特の雰囲気に自分を見失いかけたとき、私を基本の気持に戻してくれたのは、ヨットを無心でやった中で出会った人たちのやはり、無心の思いやりと支えだった。欲得のからんだ人達の言葉は時として選手を窮地に追い遣るが、私達の仲間は、どこまでも無欲に接し、私の我が侭をぐっとこらえひとつの統一した大きな目標に向かって支えてくれた。会社組織ではない、人と人の繋がりの中でとったメダルだった。
支えてくださったたくさんの皆さん、ありがとうございました。