MAYA MAXX


ART&TALK LIVE 「芸術家と表現と子どもたち− 天空の宮沢賢治さんへ −」でMAYA MAX というアーティストにはじめて出会った。金髪にサングラス、ジーンズの上下という、パンクな出で立ちである。最後まで直接声をかけることはなかったが、彼女のスピーディで思いきりのいい絵筆のはこびや、オーディエンスとのおしゃべり、トークライブでのストレートな言葉に接していくうちに、このひとはどこまでもまっさらの、しかしある決意を内に秘めた感性のひとであることが、一本の糸のように了解された。岡本太郎さんと共通するものをもつ、不思議なアーティストだと思った。
ART LIVEで描いた3枚のうちの1枚、クールで透明感あふれるブルーの絵は、賢治をイメージして描いたという。「ソリッドで切れる感じの、Big Sky Boy としか言いようのない賢治が好き」のという言葉そのままの、ぞくっとするような1枚である。彼女なかでは、賢治は「星の王子様」と重なるのだという。
MAYA MAXは、賢治の像と作品を語りつつ、自らの芸術観・世界観をさりげなく披露してくれた。傑作だったのが、「賢治の童話は、読者に歩みよろうとする姿勢が見えるから、あまり好きになれない」との発言だ。しかし、「雨ニモマケズ」「春の修羅」といった詩は、読者に歩みることもなく、とても好きだという。そのことと関連し、MAYAはトークタイムで「これまでは『日本人』に向かって描いていたことに気づいた」「これからは、世界の人びとの向かって描いていく」と語った。そして、やがて日本を去り、アメリカに活動の拠点を移すという。
「世界」が射程に入ってきたということだろうか、MAYAのオーディエンスとのやりとり、目黒さんとの対話における言葉の返しかたを追っていくと、そこには枠をはめられ、外から説明されていくことを拒む明確な意志が感じられた。それは、「日本人」に歩み寄るのでなく、自分のなかにひろがる天空や、生命の流れのみに向き合って、MAYAワールドを表出していくぞという決意の表明ではないか。MAYAはアメリカに拠点を移すことで、「階段を一歩上がる」覚悟を固めたのだという。
日本という枠を飛び出た世界で、どこの誰が彼女を待ち受けているのか。それは誰にもわからない。しかし、MAYAはきっぱりと言い切った。「誰かがちゃんとみていてくれる」「私はHonestyを生きるのみ」と。アートの本質のみに向かいあって生きていくという。カッコいい、の一言だ。