レンタルの生を生きる

それは、「生きとし生けるものが幸せでありますように」と唱える瞑想から始まった。スマナサーラ長老による福岡講演である。長老の講演を聞くのは、昨年4月に続いて3回目。今回のタイトルは「不況なんか吹っ飛ばせ! 〜不況であっても元気になる心の学びと実践法〜」。この4月にスタートした新しい大学院(統合新領域学府ユーザー感性学専攻)の学生さんにも声をかけたところ、石田陽介君、石井妙子さん、森山暎子さん、笹田晴子さん、末廣真木さん、辻桂子さんも参加してくれた。
貪欲と、仁義なき競り合いで縁取られたアメリカ的な市場経済至上主義の世界がリーマンショックで破綻してしまった今日的状況のもとで、長老からどんな発言が飛び出すか大いに興味があって高宮「アミカス」へ。
講演はブッダの教えを説く仏教は宗教ではなく、「幸せって何?」「どうすれば幸せになれるの?」を説く「心の科学」なのですという話から始まった。心の科学は、人類論の視野を超え、生きとし生けるものの幸せに向けた生命論を志向しているのです・・・。そして長老は、生命論はおろか、人類論を持ち得ない今日の経済や政治の愚かしさを、快刀乱麻を断つかのごとくバッサバッサと切りまくっていった。
長老の市場競争社会への批判の筋は明快である。人間社会は協力しあう、相手のことを心配しあってはじめてうまくいくものなのに、「戦え」という声というか思考や観念にせっつかれ、自分だけが勝利者となるべく、敵やライバルを倒すことで成功をおさめようとする競争社会は、最終的には自己破壊につながるものでしかない。サブプライムローンに端を発したパニックは当然の帰結であって、いまさら「助けてくれ」と、その泣きついてくるのはチャンチャラおかし、真理も生き方も知らない愚か者の行為だ。人間の生き方として必要なのは「競争」ではなく「協力」なのです、と。
さらに、長老が説明のなかで、「レンタルの思想」についての指摘があり、ハッと気付かされたことだった。自分のものと思っている目、耳はもちろん、一つ一つの細胞も、所詮は借りものであり、必ず返さないといけないものである。ましてやカネは自分のものではないし、“マイ”ホームなんて笑止千万というわけだ。今の世界は、そうした生きる法則や真理を忘れ、我欲を求め狂奔したがために、巨大な弁償を迫られているにすぎない ─ 。そうした説法に耳を傾け、レンタル、レンタルと反芻しするなかで、「そうだ、借りものの細胞や感覚器官で構成された人間の意識や自我は自性をもてるはずもなく、あくまで仮設・仮構でしかないんだ!」と膝をたたいたことだった。
ブッダの教えの、ほんものの強さについて話はさらに続いていった。人間の本能のなかには「我がまま」があるのみで、「協力」や「慈しみ」の感情はない。だから、我がままか生まれる怒りの感情をなくすために、生きとし生けるものが幸せでありますようにと願う慈しみの気持ちを心に植え付ける必要があるというのだ。我がままを本能としてもって生まれた心を、鍛え、磨き、つくり変えていくための実践トレーニング。慈悲こそが幸せの実現に不可欠なエネルギーを生み出していく・・・。
人びとは今、慈しみの感情に支えられた「協力」や「支援」「共生」によって開けていく世界を、殺伐とした市場経済市場主義や投機マネーの世界とはまったく別様のものとして求め始めているように思う。アメリカ的な世界の終焉の後に探求されるべきは、適切に制御された市場でも強力な政治的リーダーシップでもない。求めるべきは、どのように生きるかを支える人間としての「足場」であり、協力を実践していく心の「器」なんですよと説く長老の眼光は、揺らぐことのない真理への決意に満ちていた。無知を断ち、智慧の完成に向け、一人一人が心を高めていくことに精進すべきなのです! と病身からとは思えないような力強い声には、仏教者としてのオーラが漂っていた。
個人的には「レンタル」の主張に大きな共振をもらったが、「無常」(変わることが生きること)、「調整」(変化に対応して上手に変わり続けること)、「ひらめき」(言葉をこえたところに立ち上がる調整の力)、「ユーモア」(怒りを消していくれる良薬)といった言葉からも、たくさんの刺激とイマジネーションをもらった。
また、何よりうれしかったことは、姪の明日香が会の企画、運営、進行をしっかりコーディネートし、成功させたことだ。それも講演会・セミナーの万端はもちろんのこと、長老へのお布施の昼食までも精舎の指示にしたがいスリランカ方式で準備をし、自宅で長老とおつきの方々に対し、きちんとしたまかないを行ったのであった。その明日香、「見送りの時に、長老からあなたはりっぱだね、と言われたよ」ととても嬉しそうであった。
本質、根源、根本と言い方は様々であるが、時代や文化を超えて流れる真理・真実を探し求めて生きていく「道」を選ぶか、そうでない方向を歩むか、要は選択の気づきと問題であると改めて思ったことだった。


*講演会・セミナーの案内→ http://homepage2.nifty.com/yogi/fukuoka-dhamma-circle-top.htm
*前回のスマナサーラ長老講演会→ http://d.hatena.ne.jp/rakukaidou/searchdiary?word=%A5%B9%A5%DE%A5%CA%A5%B5%A1%BC%A5%E9&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail

牛のごとく、ノッソリ行きましょうや

新年あけましておめでとうございます。「芥屋ずぼら堂」です。ひさしぶりの、思い出したようなアップをさせるのが、元旦の圧力(笑)でしょうね。5時からカキとクリとともに本年最初の散歩を行い、さきほど戻ってきたことでした。民宿「天神堀」の前を通ると、迎春徹夜カラオケ大会の賑やかな歌声がしっかり響き出ていました。いや〜、このパワーには参りました! 不況どこふく風です。当堂はというとカラオケの歌声を背に、途上の大祖神社と薬師堂で、しおらしく手をあわせ拝んできたことでした。

さて、今年はうし年。大晦日にやっとのことで投函した年賀状には次のようなご挨拶をしたためました。犬さん牛さんをセンセーに、一刻一刻、一歩一歩を大切に生きていきたいと思っとります。


本年もどぞうぞよろしくお願いいたします。

朝の散歩が大好きなカキとクリ。散歩に連れ出す時の欣喜雀躍ぶりは365日、変わるところがありません。毎朝を至上の喜びとともに迎えるカキとクリには教えられること大です。

この年、激動の一年となりそうですね。こんな時は、時代とともに変化し続ける一方で、変えてはならないものを大切にしたいと思います。そして、できれば虎の動体視力と、あせらず騒がずという牛のノッソリをあわせた、「虎視牛行」でいけたらと思います。

 夜明けの散歩(芥屋 幣の浜)


それにしても、干支にしっかり「牛(丑)」を入れているアジアの智慧はすごい。馬でも虎でも鶏でもなく、ゆったり、ユーモアあふれる牛。正邪の別はどうでもいいや、ヒステリーをおこすのは損ですよ、といいたげな風情がただよっていますもんね。哲学者・田中忠雄さんは「馬には禅味があまりなく、牛にはたっぷり禅味がある」と書かれていますが、牛はまさに禅の修行者のよう。

そうそう、大晦日のNHK教育の「あの人からのメッセージ」という番組で、宮崎奕保禅師が生前の映像で「悟りとは平気で生き死んでいくことじゃ」と言われてました。すごい言葉ですね。淡々飄々と生き死んでいく。僕はこれこそが「牛の世界」と膝をたたいたことでした。で、そうか、と思い起こし、禅の悟りへの道を十枚の牛の絵で表した十牛図をひさしぶりに開いみました。改めて見ると、なかなかのもんです。特に、へんぽんげんげん(返本還源)というのはオマジナイのようで、いいと思いませんか。


十牛図

尋牛(じんぎゅう) - 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。
見跡(けんせき) - 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。
見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。
得牛(とくぎゅう) - 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。
牧牛(ぼくぎゅう) - 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。
騎牛帰家(きぎゅうきか) - 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。
忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) - 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。
人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。
返本還源(へんぽんげんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。
入鄽垂手(にってんすいしゅ) - まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。

2つの講座がスタートします


 このサイトをいつも訪れていただいている皆さま、お久しぶりです。“ほぼ毎日閉店状態”が続いております。ごめんなない。多事多難多楽ではありますが、当堂はいたって元気です。久々に、イベントの案内をさせてもらいます。
 ひとつは、当堂が胴元となって行うリベラルアーツ講座2008「感性 −もうひとつの知をひらく−」。もうひとつが、朋友である南さん・目黒さんによる共同企画「実践子ども学」。いずれも今週から来年にかけ、ユーザーサイエンス機構の事業として行います。来春、九州大学に開設される「感性」についての新しい大学院「統合新領域学府 ユーザー感性学専攻」のプレ講座としての開催でもあります。
 お時間があり、気分が向かれたら、ふらっとお越し下さい。


リベラルアーツ講座2008「感性 −もうひとつの知をひらく−」
http://www.usi.kyushu-u.ac.jp/news/detail/55

実践子ども学
http://www.kodomo-project.org/index.php?id=144

唐津湾に遊ぶ


行楽・イベントシーズン到来。きょうは、芥屋地区の運動会を残念至極であったが欠場し、「第1回唐の津ハーバーフェスタ」に出かけた。このフェスタは、今年度の「地方の元気再生事業」の支援を受けて行われているものである。事業の構想策定にいくらか参画し、実際の事業においても観光戦略のとりまとめのお手伝いをすることになっているためだ。
「お城が見える湾でヨット競技・体験ができるハーバーは世界中で唐津だけ!」という触れ込みで、ヨットの世界における唐津市の実績と地の利をいかしたまちづくりを行うというプロジェクトである。年度中に数回、市民をヨットハーバーに誘うイベントが行うなかで、「海」と「ヨット」を中核とした観光開発のありかたを考えていくこととなった。
唐津市には、県の教育委員会が設置した、佐賀県ヨットハーバーがある。このハーバーは、日本を代表するセイラーを数多く育ててこられた松山和興コーチ(県ヨット連盟理事長)や、これまで3回のオリンピックに出場した重由美子さんといった人たちが、文字通り人生を賭けて作り上げてこられた、セイラーにとっては「聖地」のような存在である。日本オリンピック協会のヨット競技強化施設でもある。それも、唐津でヨット競技が始まって、まだ30年あまりしか経っていないというから驚きである。来年、夏には、レーザーラジアル級ヨット世界選手権大会が開催される。と、エラそうなことを書いているが、じつは今回、唐津にかかわりをもつまで、唐津にこんな全国に誇ることのできる指導者と人材育成拠点が存在することをまるで知らなかった。
こんな、ふだんは市民に開放されることがほとんどないハーバーにおけるイベントを、見事な秋晴れとおだやかな海、そして目の前の唐津城、点在する島々の眺めを楽しみながら、日がな満喫した。最高は、マリンスポーツ体験として参加したクルーザー体験であった。マリンスポーツ体験はクルーザー、シーカヤック、ゴムボート、無人島体験、ペーロン、小型ヨット、バナナボート、アクアスキッパー、イカダと全体で9種類も用意されていた。
小型のヨットに、ライフジャケットを着けて、USIの加藤君、藤田さんとともに乗り込んだ。ガイドは、ハーバーのヨットスクールに所属する、地元・唐津西高校のかわいらしい女子高校生(3年生である)。日に焼けた、とても健康的な笑顔が印象的だ。同船した4人のなかでもっとも小柄な女子高校生にすべてを任せ、40分ほどセーリングを楽しんだ。彼女の指示に従って、何度も方向転回をしながら海上を静かに帆走し、おだやかな風と波に揺られ、まさに至福のときであった。
もちろん、ヨットの世界に生きる女子高校生との帆走など二度とないチャンス(笑)。初めはさりげなく、次第にお節介モードで、洋上ヒアリングとあいなった。「ハーバーでヨットを学んでいる高校生は何人くらいいるの?」(→唐津西と唐津東あわせて30人くらいです)、「年に何日くらい海に出ているの?」(→時化の時以外は毎日です)、「乗り始めて、どのくらい経って自信がついた?」(→4ヶ月目くらいです)、「途中でやめる子は結構いるの?」(→います。やはり、体力的に大変な時もありますから)、「大学でもヨットをやるの?」(→やります! ヨット部のある大学にいくつもりです)、「将来はどうするの?」(→ふつうの仕事につくつもりですが、ヨットは続けたいです)、「ヨットに出会ってよかったね」(→そう思います)、「ヨットをやってると、普通の男の子が頼りなくなるかもね?」(→そうでしょか?)、「付き合い始めたら、男の子をヨットに乗せて、肝っ玉をはじめ総合チェックしたらいいかもよ?」(→(^_^))・・・
高校生が、堂々とセーリングの世界をガイドし、安全に気を配り、ロープをにぎる手を休めることなく、大人たちの質問にスポーツマンらしいケレン味のない受け答えをしていく ─ 。この「海の学校」で高校生たちは、ヨット操作技術だけでなく、自然の摂理そのものを学び、あらゆる環境のなかで動ずることなく判断を下していく力、仲間への気遣いといった、いわば人間力の根っこの部分をしっかり涵養しているのだ。こうした全人的な学びの場が、小さくも存在していることを知り、無性に嬉しくなった。ヨットを後にした時の気分の爽快なこと。半ば義務感での参加だったことに恥ずかしさを覚えずにはおけれなかった。
そして、家に戻ると早速、ハーバーのことをインターネットで調べるうちに、アトランタオリンピックで銀メダルをとった時のことを記した重由美子さんの素敵な文章に出会った。「自然を読み、波と同化し、見るものを圧倒させる。その先には必ずメダルが見えてくる。メダルはただの御褒美だ。メダルを追ってはならない」「風を追わなくてはならない」。物事の本質に向き合ってきた、こんな先生に指導をうけることのできる生徒は、幸せだとしみじみ思った。
唐津に通う楽しみが膨らんできた。


アトランタオリンピックに出場して(重由美子)                         
あの時と同じ思いだけはしたくなかった。あのとき、そうバルセロナオリンピック
初日、思いがけずトップをとり一躍メダル圏に入る。オリンピックを目指す人なら、いやスポーツをする人なら誰もが夢見るオリンピックでの金メダル。その夢が目の前に見え隠れしてくる。この私が本当にメダルが取れるんだろうか。そんな不安をよそにレースは刻々と進んでいく。風ではなくメダル圏にいる相手を意識したコースをとっていく。風がだんだん見えなくなってくる。ついに、メダルという化物を追うがゆえに深い森の中へ入っていき出口を見失ってしまった。もう追えない。メダルの夢をあきらめた最終レースだけが自分に対して納得のいくレースだった。悔しいというより、目先の欲得に縛られ、自分を見失い、大好きなヨットレースの神髄が味わえるオリンピックをこんな形で終わらせてしまった自分が情けなかった。

自然を読み、波と同化し、見るものを圧倒させる。その先には必ずメダルが見えてくる。メダルはただの御褒美だ。メダルを追ってはならない。風を追わなくてはならない。自然に素直でなければならない。周囲の期待が高まり、取材が加熱し、オリンピックの独特の雰囲気に自分を見失いかけたとき、私を基本の気持に戻してくれたのは、ヨットを無心でやった中で出会った人たちのやはり、無心の思いやりと支えだった。欲得のからんだ人達の言葉は時として選手を窮地に追い遣るが、私達の仲間は、どこまでも無欲に接し、私の我が侭をぐっとこらえひとつの統一した大きな目標に向かって支えてくれた。会社組織ではない、人と人の繋がりの中でとったメダルだった。
支えてくださったたくさんの皆さん、ありがとうございました。

「石山離宮 五足のくつ」を訪ねて

日本感性工学会年次大会とのジョイントで「KANSEIカフェ#3」を無事終了した後、1泊ののち、11日の夕刻、福岡経由で天草へ。九州を代表する“高級”旅館である「石山離宮 五足のくつ」のオーナー・山崎さんに会うのが目的だ。山崎さんには、10月3日に講座のゲストスピーカーとしてお越しいただき、「おもてなし道 ─ 異世感・愉楽の里づくり」というテーマで話をしていただく予定である。全国的な評価の秘密を、情報ではなく直感でつかむべく、下調べはあえてしないまま、天草に向かった。

五足のくつは、西天草の海にせり出した山の中腹にあった。クルマでつづら折りの坂道をあがっていくと、角かどでスタッフの方が出迎えに出ておられた。なにやら面はゆい、セレブな気分である(^_^)。眼下に東シナの広大な海を望むテラスに案内され一服していると、ほどなく山崎さんがいらした。予想どおり、本を愛する人らしい雰囲気とお人柄が漂っていた。なにせ、山崎さんから最初にいただいたメールは、「ガルシア・マルケスの長編小説『コレラの時代の愛』を読み終え、その余韻に心地よく浸っているときにこのたびの素敵なお誘いのメールを拝見し、私の乏しい現実感が揺らぎに揺らいでおります」という一文で始まっていた。いったいどんな人なのだろうとの期待が、弥が上にも募っていったというわけだ。

教会風の部屋でゆっくり食事をした後、ライブラリーと一体のバーで気分をかえようと思い向かうと、そこに山崎さんが待っておられた。書棚は、その人の人生と世界を映す鏡。そこに並ぶ本の話から始め、バーの止まり木で、結局1時すぎまでいろんな話をした。一番面白かったのは、五足のくつのコンセプトが、本の世界に多くを負っているという話だった。大学生の頃、親御さんが経営されていた旅館の経営が傾いていたこともあり、中退し天草へ戻られたのだそうだ。本好きの青年が、故郷・天草との出会い直しを果たし、「天草に生まれて良かった」という確信をつかむなかで、異世感と愉楽というテーマをもった旅の里づくりを発想し実現されていく様は、まさに一回限りの奇跡の物語だ。「アジアの中の天草」「自然のもつ“雑”のパワーとエロティシズム」「天草にはラテンの空気が流れている」・・・天草の歴史や風土と向き合うなかで醸し出されていったであろう山崎さんの言葉は、この里に流れる大切な通奏低音となっている。

サービスについても、地元の人間の素の魅力を感じてもらえるような、マニュアルを超えたさりげない“おもてなし”を大切にしたいとのこと。その思いをうけるかのように、気恥ずかしさをたたえながら、「味はどがんでしたでしょうか」「ご飯のおかわりはよかですか」と尋ねてくるスタッフの対応は、とてもほほえましく心地いいものだった。
五足のくつの空間、時間、サービス、料理のすべてにオーナーである山崎さんのこだわりが息づいている。世界中の都市やリゾートをまわり感受したもの、読書の森のなかでつかんだ言葉、天草の自然に対する畏敬の念。それらすべてを、自らの感性と信念で編集しながら、表現し、訪れるお客の感性にじょうずに働きかけいく。そこにあるのは、バナキュラー(vernacular:その土地固有)な価値にしっかり根をはりつつ、唯一無二の、かけがえのないかたちを追求していくぞという、しなやかでたくましい「オーナーシップ」だと思った。そこが、距離をものともせず(というか、それを楽しみつつ)訪れる人びとの心をうつのだろう。
「最近、テラスからぼーっと海を眺めるゆとりと能力をもつ人びとが増えましてね」とうれしいそうに語られるオーナーの表情がとてもうれしそうだった。


*石山離宮 五足のくつ → http://www.rikyu5.jp/
山崎博文さんをお招きしての講座 → http://www.usi.kyushu-u.ac.jp/news/detail/45

夏の断章

朝夕の空気に涼が混じり、虫の音の主役が代わり、たなびく雲の色調が一変した。厳しかった夏も終わりを告げ、一気に秋のおもむきだ。時間の流れはやむところがない。押し寄せては過ぎ去り、過ぎ去ってはまた押し寄せる。しかし、生命のリズムはゆらぎとともにパターンを描き、新しい秩序を紡いでいく・・・・
久しぶりの書き込み、夏の記憶を断章としてとどめておこう。小学校の時によくやった、夏休み終了直前の、「まとめて絵日記」モードだ(笑)。

9日、娘はるかが帰福。仕事の疲れがたまったカラダを休めるための、文字通りの夏休みである。帰る家があることの幸せがオモテに出ていて、こちらも嬉しい気分となる。思いっきりダラケルがいい。当方は、7月19日からスタートさせたオムニバス授業「ユーザー感性学入門」が無事終了。酷暑のなか、30人近い方々に、4週間にわたり、土曜日の午前・午後と長時間おつきあいいただき、感謝感激であった。学びが生きていく上で究極の喜びであり、報酬であることい改めて気づかされた。
10日、何をしていたのか、忘却(笑)。
11日、九州経済産業局での“ソーシャルビジネス”公募事業についてのミーティングの後、九州経済連合会でデジタルコンテンツ産業育成検討部会の会合、そして、福岡市の都心再生課とのミーティング。いずれも、地域にしっかり根を張った、新しいビジネスやビジネスに向けた動きをどう展開していくかが主要な論点。手元・足下の資源の新たな光と着想を与え、一つに結びつけて新しい“かたち”に仕立て上げていく作業は、先が見えないだけに面白い。酒造りでいえば「発酵」のプロセス。「神のみぞしる」複雑系の世界だけれど、ある日突然なにかが発現するかもしれぬではないか。
12日、九経調60周年記念事業の仕事で、目黒・八尋・石田の3名ともに鹿児島へ。初の九州新幹線(部分開業)、初の新鹿児島駅を経験した。鹿児島は10数年ぶりか。車中、お昼はどこで? という話題が投げかけられたが、ためらうことなく「久しぶりに“のぼる屋”のラーメンが食べたい!」と、有無をいわさず皆を“のぼる屋”へ一行ご案内。20年ぶりぐらいか。しもた屋のつくり、腰の曲がったお婆さんが給仕するお店で一杯1000円の理由はいかに、浅からぬ縁の森進一との関係の真相はかに(デビュー前、出前アルバイトをやっていたらしい)、この味は一体ラーメンか中華そばか・・・と元祖鹿児島ラーメンは、十分すぎる旅の話題を提供してくれた。“のぼる屋”のラーメンはメディア(媒体)である。では、メディアにのっけて売られているものはというと、思い出か、驚きか、はまたまみやげ話か。


13日は、大学に出て、たまっていた書類整理とデスクワーク。
14日・15日は、夏季休暇をとり自宅でのんびり。そこに、「メルヘン大使」宛に、夏バテ対策のカウベルランド「豊後玖珠牛」が届いた。エネルギーを充填し、暑さに負けず、なお一層のご活躍を、という挨拶が添えられていた。感謝。早速、いただいたなかの一枚が、ステーキとして大使令嬢の胃袋に消えた。残りの2枚は、いずれゆっくりといただくことにしよう。
 *玖珠牛のご用命は→ http://www.cowbellland.com/


16日、盆踊り・仮装大会が公民館ひろばであるというので、会場へ。ドイツワインをさげ、海の家・磯の屋での「糸島カレーフェスティバル」前夜祭に乱入。実行委員長の松っちゃん、ヒロ、芫ちゃん、よしも、カレー、シンタロー、、、と総勢15〜16名がすでに出来上がっていた。飲んだ、飲んだ。海の風を感じながらの酒とおしゃべり。


17日、日付がかわり1時間くらいたって、ふらりふらりと家路についた。すると、家の前の道路は、パトカーや検問中のお巡りさんでただならぬ雰囲気。聞くと、夜9時過ぎ、我が家から20メートルくらいのところで、ひき逃げ事件があり、被害者は亡くなられたという。しかも、その方は地元の方というではないか。酔いが覚めてしまった。明けて、お隣に尋ねると、亡くなられたのは、散歩の時にたまに挨拶をするYさんであった。ご冥福を祈るしかなかった。朝方から警察の一斉聞き込みも始まった。
この日は、糸島カレーフェスティバルの当日。カミさんとはるかを伴い、会場となった「磯の家」へ。12時開鍋の直前であったが、すでにイベントは始まっていた。15の出カレー者(インドレストランあり、豚串屋あり、和食屋あり)が合計29種類のカレーを持ちより、参加者は好きなカレーを好きなだけ食べ回る。米は寿司職人のシンタローが大釜で炊く。400人を超す人数だから、フル回転である。カレーはというと、本場インドカレーはもちろんのこと、鯛カレー、禅カレーと多種多様。まさに、「夏のカレー」の醍醐味ここにあり。15時頃には退散したが、聞くところに寄ると、フィナーレでは、芫ちゃんの裸おどりあり、××さんのカミングアウトありで、盛り上がったという。


18日は、ふだんどおり仕事場へ。と言っても、夏休みモード横溢。昼過ぎ、四島司事務所に伺い、アートを生かした、産学官協働の人材育成プログラム立ち上げについて相談にのっていただいた。前途は多難であるが、その必要性について改めて確信した。夕方は、高校の同窓生の集まりで大名「あんねい」へ。6人が集った。同窓会にはとんと足が遠のいていたが、とても懐かしい一時をすごした。それぞれにいい味を出している。歳をとるのは悪くない。また、国政への返り咲きを狙っている民主党の古賀君が、当堂の中学時代の同級生とたまたま会ったとかで、その名刺をもってきてくれた。山口信一君。さっそくに連絡をとり、近く会うことに。
19日、昼間は大学院設置にからむ文部科学省向けの資料作成に終われ、それを片付け、夜9時から大名での「紺屋2023」関係者顔合わせサロンへ。田村さんは既に到着済み。みなとしばし、談笑した後、目黒さんが迎えに来て、ひさしぶりにKO7の“夜のミーティング”ということで、バー「柳」へ。まどろむtam-tamを横に、目黒さんとハイな気分でカクテルを2杯。
20日、日記すべき特段のことなし。
21日、朝一番の飛行機で東京へ。午前中は経済産業省で「KANSEIカフェ」のミーティング。経産省の担当者から、向こう3年を「感性価値創造イヤー」を宣言したものの、財務省からうまく予算を引き出せないで苦慮しているとの正直発言も飛び出し、「中小企業関係をはじめ、既存予算をじょうずに読み替えたり、つないだりしていかないと“国民運動”にならないのでは」とアドバイス。新しい概念が世間で効力を発揮していくためには、幾多のハードルが控えている。
 午後は、感性マーケティングの第一人者、小阪裕司さんが主催されるオラクルひと・しくみ研究所のセミナーに特別に参加させていただいた。浜松のある酒屋さんの経営実践を、小阪さんがたっぷり2時間近くをかけ解剖していく。経営者には、整理しない生の材料をもってきてもらい、それをもとに小阪さんが一つ一つの実践の意味を紐解いていく。売らんかなの商いではなく、「コミュニケーションの手段」として商品をとら、自己成長の機会として捉えておられる様に共感を覚えた。お客さんの前で試されているのは「自分らしさ=感性である」という小阪さんの指摘に深く納得。
夜は、同研究所主催のサマーカーニバルナイトに参加。銀座のライブスポットを貸し切り、生バンド付きである。狙いは「40代のディスコ・パーティ」だそうで、とても楽しかった。踊りながら、いろんな経営者と交流。脳科学者の黒川さんも大ブレークしていた。2ステージの間には、「それではこれからトークショーをやりましょう」ということで、突然ステージに上げられ、小阪さんと2人でしばりクロストークというオマケもあった。


22日、大学に一旦顔を出し、加藤君とともに唐津市へ。行政と大学との連携プロジェクトについて、総合政策部長と意見交換。市の後は、どこかで寿司でもというので、教えられるままに「つく田」へ。これが江戸前の最高の味。うなってしまった。また、大将の職人かたぎのきりりとした雰囲気、すべてに配慮がゆきとどいたお店の風情も最高である。(数日後、職場の仲間に聞くと、全国的にも有名なお店とのこと)
23日、久々に海岸清掃へ。そこで、前日夜にひき逃げの容疑者が逮捕されたことを知らされた。家に戻り、インターネットで確認。現場に落ちていた車のバンパーの破片(約10センチ四方)から車種を特定。警察官約30人が約1週間かけて付近の同型車1000台をしらみつぶしに当たり、事故車を割り出していったという。容疑者は27歳で、芥屋と隣接する野北に住む青年で、宅配Y社のドライバーとのこと。ご近所から、「芥屋の人間でなくてよかったね」という声をいくつか聞いた。加害者にしても、ちょっとしたはずみでで事件の当事者となり、人生行路が大きく変わる。この世は、不確実なことだらけだ。


24日、どうも朝から体調が悪く、一日、家にこもっていた。疲れがたまってしまったようだ。
25日、博多織デベロップメントカレッジの授業の、本年度4回目の授業である。業界サーベイということで、(株)岡野の直販店「博多一十」に出向き、学生と岡野社長・角店長の話をたっぷり聞いた。しっかりとした状況認識と事業哲学、経営戦略をもった岡野社長の展開は、何度きいてもすごい。そうそう、岡野では毎年一冊ずつ「ブランドブック」を刊行することになったそうだ。今年のテーマは「太陽」とのこと。授業の前に、インタビューを受けた。当堂も写真つきで登場する予定だ。


26日、カラダの重さを感じながら、ばたばたと仕事をこなし、夕方から天神イムズ「創造の森」で、「いきいき長寿社会まちづくり」のミーティング。大牟田から、大谷さん、池田さん、内田さんがわざわざ来ていただいた。既成の観念や枠組みに囚われない、新しい福祉のありかたを「ひと、こころ、まち」のありようとして探求していこうよという意志を確認しあう、とても気持ちのいいミーティングとなった。ミーティングの後は、オーガニック・レストランの「宙(SOLA)」で、おいしい料理とワインに舌鼓をうった。談中、グループホームを拠点に認知症ケアの最前線で働く大谷るみこさんが近く、モギケンの「プロフェッショナル」に出演予定との話を聞き、無性にうれしくなった。モギケンに“よろしくメール”を打つことにしよう。

iPhoneがやってきた

いや、正確には、「iPhone を手にいれ、使えるようになるために、金曜・土曜とかなりの時間をつかい、はまりこんでしまった」。
まず、金曜日の8時から博多駅前のヨドバシカメラに並び、整理券(整列の順番を崩さないために発行するとのこと)をもらい、それと交換に、8時半すぎに念願の商品引換券を手に入れることができた。東京では千人を超す行列ができたというが、博多では100人ちょっとといったところか。そして並んだ全員が商品引換券を手に入れることができたから、めでたしめでたしである。ものを買うのに、最後に並んだのはいつかと思い出そうとするけど、思い出せない。それほどまでに久しぶりなのだ。たぶん、ほぼ半世紀ぶり(笑)、切手発売日に並んで以来だろう。もう、こんなことは死ぬまでないと思う。
そして、欲しかった色と仕様は明日の渡しということとで、ご対面は一日先となった。

翌日。休みの日であったが、10時からの手渡しに向け、いそいそと自宅を出て、サイドヨドバシカメラへ。もう行列こそはなかったが、説明コーナーで4〜5人が機種変更や新規契約の説明をうけていた。手続きそのものはすんなりといった。しかし、肝心のiPhone を手に入れるまで、待ったこと待ったこと。「センターでの登録作業が立て込んでいますので・・・」とうことで、かれこれ3時間近く辛抱づよく待つこととなった。「もうすぐ、憧れの iPhone に会えるから我慢、我慢!」と念じながら。
そして、やっとのことで手に入れた iPhone 。小脇にかかえ、電車のなかでパッケージを大事にあけ、my iPhone を大事にさわりながら、一路自宅へ。その後は、初期設定、パソコンとの同調、ためし運転と、まる一日はまりこんでしまったというわけだ。
印象はというと、特段のハイスペックというものは何一つないが(むしろ、日本製携帯に慣れた身からすると“ない”機能が多い)、iPod、パソコン、インターネット、携帯の機能がじつにバランスよくまとめあげられていて、久々に「これぞマック!」という感動を覚えてしまった。ハードとしての作り込みはもちろんのこと、インターフェースが綺麗だし、親指・ひとさし指を使って感覚的に操作していくタッチ感覚が楽しい。いままでの端末にないフィーリング。アップルが大切にする「Think Different!」の遺伝子が存分に発揮されていると思う。ワンセグだのお財布機能が掲載されていまいが、それはもはやどうでもいいこと。「人間」が機械や技術に接するときの、心のツボを押さえた考案が随所に散りばめられていて、Different World に誘ってくれる。
そして、改めて思ったのは、「パッケージング」に対する徹底したこだわり。 単なる箱や包みの域を超え、iPhone 手にした者が、「さてさて」とどきどきしながらおもむろに開けてゆき、やっとの思いで手に入れた喜びをかみしめることのできる瞬間を見事に演出しているのだ。なぜか、「これは、箱もとっておかないとまずいぞ」という気にさせる。今では使われなくなったが、「Welcome Macintosh!」のホスピタリティは、「日本企業よ大いに学ぶべし!」である。思えば、「包み込み、そして開く」という行為のトータル・デザインはは日本のおはこ(笑)であったはず。こんなところまでも、海外の企業に先を超されてしまっている現実がある。でもまぁ、お相手は「世界のアップル・僕らの iPhone」である。偏狭なナショナリズムはなしで、当分は iPhone と楽しく過ごすことにしよう。