塩土神社 春の祭典

 「春の祭典」という言葉に期待を膨らませ、家から歩いて3分の塩土神社へ。私が住む芥屋区(304戸)には4つの神社があって、そのうちの一つがこの社。小さなお堂に7〜8人が集い、神主さんの祝詞で予定の13時きっかりにスタート。宝暦4年に、村民の妻が神がかりになって、占いがよく当たるというので建立されたものだそうで、藩主黒田家の崇敬厚く、由緒のある神社とのこと。今でこそ昔日の面影はないが、昭和30年代前半までは祭典の時に舞台で神楽が演じられ、境内には露店が並んだとのこと。
 集ったメンバーは、私以外はすべて隣組(芥屋区には5つの組がある)の組長さんや副組長さん。春のやわらかい日差しのもとで静かな祭典が終わるのに50分とかからなかった。ある方は「地域の伝統や行事を守り続けていくのは結構タイヘンなんですよ」とぽつり。
 しかし、それでも、わずか300戸あまりの地区で今も2つの神社(もう一つは芥屋大門のそばの大祖神社)を維持し、それに加えて各隣組でも観音堂地蔵堂、薬師堂、虚空蔵堂といったお堂をかかえ維持し続けているというのは、地域集落(コミュニティ)として希有だろう。しかも、じつは、これにとどまらない。各組は完全自治のかたちで集会所までもっており、コミュニティをまとめ、支えるインフラが幾重にも存在しているのだ。これは、都会人にとって驚き以外の何ものでもない。
 コミュニティの崩壊がいろんなところで指摘され、私自身「そうだろうな」と思ってきたけれど、この芥屋はちと事情が異なっているようだ。ということで、元調査マンの血が騒ぎだした今日この頃。「地域コミュニティは今」といったノリで、これから芥屋日記というかインサイド・レポートを書き記したいと思う。マスコミや学者の紋切り型の議論とはやや異なる断面を発見できるかもしれない。