早朝坐禅

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わが家で起居している姪のある病いがきっかけとなり、その姪に誘われるようなかたちで、一緒に近くの健治寺にちょくちょく坐禅を組みに行くようになった。5時15分くらいから30分ほど、読経が響き渡り、香がたちこめるお堂で坐禅をし、その後、お茶を一服いただくというものだ。
仏教の思想や論理にはこれまでいくたびか関心をよせ、いろんな本をそれなりに読んできた。けれども、坐禅という「体験」として仏教的な世界にふれるというのは、ほとんどはじめてのことだ。禅の奥義に至るにはほど遠いが、得も言われぬ気持ちよさというか、お堂の響きと瞑想のなかで、生命のリズムが整えられていくのが、わが身を通して感じ取ることができる。まさに、論理の世界とは大きく異なる感性の世界である。最近の脳科学の手法によれば、坐禅を組むことで、脳の神経ネットワークが組み替えられ、心の安定とともに創造性や意欲が刺激されるという精神世界のできごとが、科学の世界でも説明できるにちがいない。
いずれにせよ、しばらくの間、早朝の禅寺通いが続きそうだ。