ダンディーな死

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今朝5時すぎ、ポチが心臓発作で急死した。日課であった散歩の途中、ばたっと横になったので、カミさんが抱きかかえたところ、その腕のなかであっという間に息を引き取ったという。大好きだった人の胸に抱かれて、朝日の光を受けながら最期を迎えるとは、何とかっこいいヤツだろう。享年13歳。都会のなかから芥屋に越してきて1年半、何通りもの散歩コースのなかから、気分と体調にあわせて日々のコースを自在に選定し(その選択はポチに完全お任せであった)、芥屋の自然や景色を満喫していた。そうした毎朝の散歩は、芥屋の人々や犬、猫、花、木などとの多くの出会いをもたらしてくれた。
高宮に住んでいた折、家の裏の下水路に野良の子犬がいるのをカミさんが発見、早く引き上げてやらないと雨がふったら呑み込まれてかわいそう、どうしようということでいろんな策を講じたことがコトの発端であった。野生そのままで警戒心が強くどうしても寄ってこないことから、カミさんが犬になりきり、四つ足で匍匐前進、同じ目線のコミュニケーションを試み、やっとの思いで近づき抱き上げ保護したのだった。そして我が家のメンバーとなり、子どもらとともに育ち、我々とともに歳をとっていった。
それにしても、変わった犬だった。野良生活で身につけた、外界の事物に対する警戒感は最後まで失せることはなく、カミさん以外の人にじゃれつくことがほとんどなかった。手塩にかけたご飯にもすぐに飛びつくことはなく、時間がたっておもむろに食べ始めるという徹底ぶりである。こんな抑制のきいた犬は今までみたことがない。
しかし、芥屋での最後の1〜2ヶ月は私にも寄ってくるようになり、耳が歴然と遠くなったこととあわせ、「こいつも歳とったなぁ」との思いが重なっていたところだった。けれども、それまでは“家主”であるワタクシのことなど完全無視、たまには吠えるそして噛むことさえもあるという状態で、そのことを来客に告げると「珍しい犬ですね」と苦笑・嘲笑・爆笑されることが一再ではなかった。
今日は、そんなポチの毅然とした“犬柄”に魅かれた幾人かの人間で、別れの一時をいとおしむように過ごすことができた。姪の明日香も終日、ポチの枕元に居て、感謝の言葉を何度も伝えていた。姪が言うには、ポチは死の前日、彼女にぴったりと寄り添い、苦しそうな息遣いのなかで、目を使って「しっかり生きよう」と言っているのが感じられたという。死という究極の事実を共有している生命どうしの、じつに深い対話だと思う。そして、明日香はポチのお陰で、自己再建のきっかけと勇気をつかみとったようだ。不思議な因縁(つながり)である。
夕刻、私も仕事から戻り、みんなと一緒に埋葬してあげた。お地蔵様とタヌキという希代のコンビが両脇を守り、春には桜の花を楽しめるよう桜の木を植えてあげた。最高のお墓である。
朝日に召され、夕日に向かって旅立つ ─ 。そのダンディぶりはうら羨ましいかぎりだ。

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