『社会脳』を読む

京都医療少年院勤務の精神科医であり小説家(ペンネーム小笠原慧)でもある岡田尊司さんの『社会脳 ─人生のカギをにぎるもの』(PHP新書)を読んだ。現代社会、とりわけ子どもたちにおいて、社会性の能力(社会脳)が危機にさらされているという状況についての危機感をベースに書かれた本だ。子どもの抱える問題に現場で接しておられ、大学では脳科学神経科学を研究されていたこともあって、社会が直面する問題と「心の科学」を橋渡しする好著というか必読書である。読むなり、筆者にはぜひ一度お会いしてみたいと思った。
肝心の中身のほうは読んでもらうしかないが、例えば、次のようなくだりがある。
《・・・現代の子どもたちは、社会的体験を積むことをおろそかにし、知的訓練や映像的な情報にばかり時間とエネルギーを費やしている。いわば道具的知性を発達させ、使用することにやっきになっている。その結果、社会的スキルが欠如しているのみならず、社会的スキルを身につけていくためのベースとなる基本的な能力が丸ごと欠けた状態で育っていることも珍しくなくなっている。最近の若者の学力低下は、学力だけの問題ではなく、社会的能力の低下とも連動しているように思える。》
こうした認識をもとに、岡田さんは、意識して生の人間的刺激、社会的体験という「心のエクササイズ」を積み重ね、社会脳を鍛えていくべきだと説く。主張の背景にあるのは、「響き合うものとしての心」という素敵な理論だ。ちょっと長くなるけど、その個所を書き写してみると ─
デカルトの命題に対して、アメリカの脳科学者アントニオ・ダマシオは、我々が自分の存在を感じるのは、何かを思うからではなく、何かを思うことによって体で起きる変化を、脳が感じ取ることによってであるという「ソマティック・マーカー仮説」を提唱した。つまり、体という共鳴装置に、自分の思考や感情が響くことにより、初めて、自分の体験として感じることができるというのだ。つまり、「思う」と「我」の間に「体の反応」が入ってくることになる。
 このダマシオの考えは、自分の体だけでなく、他者というものにも当てはめることができるだろう。実際においては自分の行動は、絶えず周囲の者の行動に反響し、自分に返ってくる。社会生活とは、こうした響き合いを絶えず行うことだといえる。社会生活を担う心という現象は、孤独に幽閉されたものではなく、本来、響き合うシステムだったように思える。長い進化の過程で心というものができあがってきたとき、心は、もともと、個人の領域に属するというより、他者との関係のために発達してきたものだった。》
要は、ブログだSNSだゲームだと道具の世界にうつつを抜かすばかりでなく、社会に出て他者と交わり、自分の体で感じ、もっと社会的なスキルを磨けということだ。余談だけれど、この個所を読みながら、勤務する大学の気の置けない同僚であり作曲家である藤枝守さんが主張し実践されてきた「響きの生態系」や「ディープリスニング」について、思考を巡らせる快感を味わった。超オススメの一冊である。