「和服」の新概念について議論する

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午前中、博多織ディベロップメントカレッジで、博多織「千年工房」の岡野博一社長(博多織の世界に新風を巻きこみつつある青年社長!)とともに講義。「商品開発販売促進」の一環だ。前回、田村さんと一緒に行った講義に続き2回目である。お相手は、伝統工芸の新しい担い手をめざして、学生さん12名。事前に、「『和服』の概念をかえるような発想やヒントを身の回りから探しておくように」との課題を出しておいた。持ち寄ってもらった材料をもとに、学生二人による進行で、ワークショップ風の議論が始まった。しかし、コンセプト開発に向けたグループ・ディスカッションそのものに慣れていないせいか、全方位の井戸端会議風で、なかなか方向性が見えてこない。そこで、我々ふたりで適宜茶々を入れることになるが、あまり茶々をいれても、ワークショップの良さがなくなってしまう。押したり引いたりが肝心だ。
面白かったのは、「着物、呉服、和服、洋服のちがいをどう捉えていますか」という岡野さんの投げ掛け。それぞれのイメージを出し合うなかで、着物でもない呉服でも洋服でもない「和服」の新しいありかたを考えていくうえでの重要なヒントがいくつも飛び出てきた。博多織の世界で新しいビジネスチャンスを開きつつある岡野氏のシャープな切り口、さすがである。そのなかで、高級な絹織物のみを扱う呉服屋に対し、綿・麻を素材とした普段着を扱う「太物屋」の存在がなくなってしまったというさりげない岡野氏の指摘は、重要なヒントが隠されているように思った。
商品開発にとって大事なのは、視点の創造とそれを的確に表現する言葉との出会いである。自分で考えることの面白さを味わいながら、そのコツや勘をぜひつかみ取ってもらいたい。と言っても、こちらとて、エラそうなことが言える立場ではない。正解はないのだ。我々もディスカッションを聞きながら、若い人たちが着物や呉服にどんな印象をもっているかを知ることができて勉強させてもらった。
また、驚いたことに教室の黒板に、「江戸の粋(いき)、京都の雅(みやび)、では博多は?」という書き込みがあった。実は、岡野氏と1週間ほど前に、全く同じことを話題にあげ「カレッジの学生さんたちに提案してもらいましょうか」と話していたからだ。そのことが気になり、九鬼周造の『「いき」の構造』を読み直している最中でもある。偶然である。次回の講義では、この話題をとりあげたら、盛り上がりそうだ。こうした偶有性の連鎖反応は楽しい。