玖珠そして由布院へ

博多織ディベロップメント・カレッジが終わり、目黒実さんのメルセデス玖珠町へ。車中、目黒さんに買ってきて頂いたセ・トレボンのパンで昼食をすます。
玖珠町では日隈助役の部屋で、河島商工観光課長とともに、豊後森駅の「機関車庫跡」の活用について意見交換をした。話のなかで目黒さんの口からは、「童話(メルヘン)の里・くす」が「日本のアンデルセン」と讃えられた口演童話家、久留島武彦の故郷であることにちなんでいるのなら、“メルヘン”よりいっそのこと“アンデルセン”を全面にだし、玖珠町アンデルセン研究やデンマーク交流で売り出したらどうか、という提案も飛び出した。面白く、夢がひろがる内容だと思った。何より、「メルヘン大使」より「アンデルセンの里 大使」のほうがカッコいい(笑)。
1時間たらずの訪問ではあったが、これまでチルドレンズ・ミュージアムの計画・建設・運営を3箇所手がけてこられた目黒さんの、小気味のいいアドバイスや提案を横で聞くにつけ、「メルヘン大使」の初仕事は、まずまずであったと自己採点。インゴ・ギュンターの108の地球儀展開催や建物前広場でのギリシア悲劇上演などのアイデアを今後どうかたちにしていくか、久しぶりに玖珠通いを復活していくことになりそうだ。

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玖珠の後は、「ゆふいん文化・記録映画祭」の前夜祭をのぞくために由布市へ(いつのまにか“市”になっていた)。飲み仲間である宮崎さん(シティ情報おおいた編集長)、アストロさん(某氏広報課長)、tokoさん(某テレビコメンテーター)、田村さんとも現地合流した。今年が第9回とのことだが、当方初体験である。ポスター・パンフには「出会いの磁力」とかかれている。中谷健太郎さんをはじめとする湯布院のひとたちの「場」づくりに向けた自信と確信がびんびんと伝わってくる。それと同時に、パンフには合併によって湯布院町由布市になり、「暮らしの容が見えない」「文化の基層も見えない」空間になってしまった状況に対する健太郎さんの怒りがしっかりと書き込まれていた。宮崎さんによると、健太郎さんは最近、住所を書く際、「由布市〜」とせずに「由布院盆地〜」と表記するそうだ。
観たのは22歳の君原健二をしぶとく追った、黒木和雄監督の「あるマラソンランナーの記録」。淡々とした映像であるが、オリンピックの頃の北九州の風景や人々の表情、まちの音に、「新日本紀行」をみる時と同じような感覚を覚えた。体の深いところの「記憶」が刺激されるものの、うまく表現できないもどかしさを感じるあの感覚である。
映画の後は、懇親会に1時間ほど参加して、6名でゆふいん駅前の「焼き鳥みっちゃん」で宴会。私の誕生祝いもしていただいた。5月6日付けで、ゴジュウサン歳という、人にはあまり言いたくない歳(笑)になった。
みっちゃんの後は宿泊先の西日本シティ銀行の保養施設へ。
翌27日は田村さんと、なんと6時30分の高速バスで福岡にリターンして、9時からのプロジェクト会議に出席。滞在14時間・温泉入浴2回の「もったいない由布院」であった。