頭上からの農薬散布

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きょうは朝早く(6時前)から、黒磯海岸にそった松林への農薬散布が行われた。もちろん、事前に回覧板で注意が喚起されてはいたものの、ばりばりばりというヘリコプターのものものしい音に、改めて何事かという気持ちが沸き上がり、カメラをもって現場に直行しようと家を出た。しかし、クルマで家の門を出るなり道路は通行規制である。仕方なく通行可能な道路を伝って現場近くまで行き、遠巻きに何枚かの写真を撮った。回覧板での通告では確か「空中」散布となっていたと思うが、これはまちがいなく「頭上」散布である。松林のなかには、芥屋の自然をもとめ常住されておられる方もおられるし、わが家とて風にのった散布農薬の飛来は避けられない位置にある。
かつて、全国的に松くい虫が猛威をふるい、全国の松林がどんどん枯れていき社会問題となったことがる。ヘリコプターによる農薬散布が国家的な事業として行われ、各地で反対運動が行われていった。その頃、私は学生であったが、実は農薬空中散布反対運動に市民として関わりをもったことがある。国会での委員会審議を傍聴したり、住民集会に参加したりしたが、結局は、原因と対策についての十分な議論が行わないまま、「松林を救え」という大義名分で空中散布が強行されていった。あれから30年ぶりに、同じ問題に今度は直下の住民として直面することになったというわけだ。
この間、松枯れをめぐる状況がどのように変化していったのか、恥ずかしながら新しい情報を何も情報を持ち合わせいないが、新聞等であまり見かけなくなったことを見ると改善されているのだろうか。ヘリコプターの写真をとった後、付近の方に聞いたところ、「以前とちがって、松くい虫の話は最近はほとんど聞かんようになった」とのこと。であればなおさら、「何のための頭上散布か」との疑念がよぎる。おそらく、役所のほうで農薬散布の予算が組まれているので、何の議論もなく年中行事として行われているのだろう。でも、この「慣れっこ」が恐ろしい。じつは先のご近所さんも、「たぶん、農薬散布が効いてきて松くい虫が減ってきとんじゃろう」とのことであった。
松枯れ −農薬散布については、以前だと、賛成論・反対論が激しくぶつかりあう、文字通り「空中戦」の状況が繰り返されていたが、その頃とは事態が一変している。子どもたちの環境教育やLOHAS(健康と環境に配慮したライフスタイル)への関心がこれだけ高まりを見せている中でもある。地域の松林の保全をめぐって、草の根の地道な議論と取り組みができないものだろうか。「ヘリコプター頭上散布」に直結していく前に、たとえば小中学校の環境教育の一環として、松林の生態調査を定点観察として行ったり、地域をあげて松林保全活動を取り組むことも可能なはずだ。地域の環境と保全のありかたについて考えるいい機会である。
芥屋ではこのところ、いたるところでツバメのヒナがかえり、親鳥はエサ運びに忙しい。こうしたツバメに限らず、たぬき、へび、みみずといった命の連なりが農薬散布で寸断されることが心配だ。
解剖学者の養老孟司さんはよく、日本人の自然観の特徴を「手入れ」という言葉で語られる。先人は、たとえば里山に薪や下草とり等で入り、こまめに手入れしながら、人と自然の持続的な関係を築いたきた。それからすると、ヘリコプターによる農薬「頭上」散布というのは、なんとも粗っぽい、日本的な自然観や作法を喪失・忘却した行為ではないか。
ヘリコプターが旋回している松林の手前では田園風景がひろがり、手入れの思想をうけつぐ形で田植え作業が行われていただけに、そのコントラストに複雑な思いを抱かざるを得なかった。