海岸で「ゆらぎ」と出会う

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このところ、イベントその他で他地区への“清掃遠征”が続いていたが、今日は、久しぶりに芥屋大門そばの海岸清掃にあたった。参加は、人生の哀歓ただよう四人の男ども(背中を見よ!)と私である。
海岸に降り立ち、「さて、」と気合いを入れたものの、挑むべき「獲物」の前に、一瞬気がなえてしまった。ふだんと異なる光景が拡がっていたからだ。海岸線に延々と竹や木くずが打ち寄せられている。とても手作業ではラチがあきそうにない。対馬か五島、あるいは韓国あたりで大雨が降り、山から河口へ、河口から対岸へと流されてきたものであろう。
さて、これをどうしたものかと、ビンやペットボトルを拾いながらそれぞれの思案が始まる。「これは果たしてゴミか」「この竹や木くずの背後にどんな災厄があるのだろうか」「人為・人工のゴミよりも自然・天然の漂着物のほうが意外と手ごわい」・・・・
5〜6名の海岸清掃隊では焼け石に水かも知れないけれど、来週はとりあえす「役場の許可をもらった上で、火で燃やしてみよう」ということになった。海岸版の「野焼き」である。
最近の大雨をはじめとして、自然は一定のリズムをもって循環しているようで、さまざまな「ゆらぎ」にみちている。こうした「ゆらぎ」と向き合うなかから、人というか人生の知恵が生まれてくるのだろう。