塩土神社 夏の祭典

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 1時から、塩土神社 夏の祭典があり、春の祭典2006-04-23)に続いて、参加させていただいた。こちらは何といっても、当地事情を知らない新住民。地域における歴史の古層や長の方々の役割について触れるには、こうした祭事が一番である。
 春は7〜8人の参加に過ぎなかったが、今回は、雨模様の中、20人の参加で、小さいお堂は満席状態となった。区長を筆頭として、5つの「組」の役員さんたちが集い、宮司の司祭で、地区の安全祈願を行い、祝詞をあげた。
 2006-07-15 のブログで紹介した「持田家のばあちゃん」も遅れて参加され、お堂の末席でご挨拶。「この祭典も、昔は、お店が出るわ、お芝居があるわで、ものすご賑わとったとですよ」「最近は子どもの数が減ったもんで、子ども神楽もできんようになって」と残念そう。けれども、「おばあちゃんのエアコン営業、凄かですね」と話を向けると、「換気扇もとりましたと」ととても嬉しそう。また、明日は、福岡県中小業同友会の皆さんを招待して、花火大会を楽しみながら自宅でバーベキューをされるとかで、役員さんとは峰組のテントを借りる交渉も祭典の後にしっかり。さすが「持田家のばあちゃん」である。
 古くからの神事が綿々と引きつがれ、地区の精神的な財産である神社が維持されていく。こうした構図は、観念的にはわかっている積もりでも、外来者である自分にはまだまだ理解を超えた部分が少なくない。地区で神社を維持していくという共同意識や動機はどこから来るのだろうか、次の世代である若い人たちと長老たちの間のギャップはないのだろうか。宮司さんがあげる祝詞は説話とも音曲ともとれる不思議な世界で、日本書紀古事記を彷彿とさせていて興味はつきないけれど、地区の人々はどんな響きとして受け止めておられるのだろうか・・・
 いずれにしても、地区安全祈願のより所として、また「記憶」の装置として、250年前に建立された神社が立派に息づいている現場に立ち会えるのは嬉しいものだ。