予備校だからこそ大学や高校の問題がよく見える

ある予備校のスタッフ部門で仕事をされているHさんと、いつもの田村さん(笑)を交え酒をのんだ。Hさんとは知りあって7〜8年になると思うけれど、のむのは初めてだ。
予備校の営業として、各地の高校をまわり、日々多くの生徒や先生と接しておられるだけに、最近の学校や受験のおかれた状況についての生の話に、「へぇ〜」「そうなんですか」とうなりっぱなしで、教育現場のかなり根深いところで変化がおきていることをしっかりインプットして頂いた。高校生たちに「いま大学ではこんな先生によってこんなことが研究されているよ」とか「社会にでてこんな仕事につきたければ、こんな大学でこんな勉強が必要」とかいった具体的な話を携えて講演をしてまわり、模試をはじめとする営業活動や、教育現場の問題にあわせた事業提案をされるのだという。最近は、予備校の授業法を学ばせてほしいという高校の要望がかなりあるという。Hさんは先生ではないが、まちがいなく「教育のプロ」である。
一番驚いたのは、最近、“新課程”で育ってきた子どもたちが受験世代として予備校に入るようになって、情報の解釈・編集、あるいは正解のない問題を思考していくといった、クリエイティブな力が子どもたちの間で急速に衰えてきている現実に危機感をもっているという指摘だ。Hさんは国語力の低下がそれに拍車をかけているのではないかという。例えば数学の授業では、「AもしくはB」と板書とすると「“もしくは”って何ですか」という質問がよく出るようになったという。英語教育の重要性を叫ぶのも結構だけれど、こうした問題が現場で蔓延していることを文部科学省は知っているのだろうか。
それと関連して、最近の教科書はやたらと写真やビジュアルが増え、日本語の文字記述が減ってしまい、知識を十分にもたない状態で、「さぁ、まちの探索をやってみよう」といったかたちでの上滑りな内容が増えていることも、クリエイティブな思考力を殺いでいるのではないか、とHさん。
そして、大学にとって耳の痛い話もずいぶん伺った。高校生たちに、「どんな大学をめざしているのか」という明確なメッセージが届かない大学は、これからブランド力を落とし、志願者が減り、結果的には経営が厳しくなりますよ、との指摘は「学生あってこその大学」にとって本質ズバリだ。いい学生をとりたいということで、キレイな冊子を制作するといった取組みは活発になっているけれど、学科や学部がバラバラでやっているために、かえって大学全体の未来像が見えなくなったのは、外から見てるとヘンですよ、とまで言われてしまった。
学生あってこその大学は入学の門をたたいてくる学生が、いまどういう状況にあるのかをじつはよく知らない。「教える」立場の人間が、「学び」を探求していこうとしている学生と1対1で対話していく際に不可欠な知識と意識基盤を持ち合わせていない。反面、高校生や高校の先生方は、社会経済環境が変化する下での大学の実態や、卒業後のキャリア展開についてよくご存知ない。現実社会との関わりのなかで「よく生きる」ための、知識とアドバイスが行ないづらくなっているのではないだろうか。この2つのミゾを、予備校の熱血プロが何とか埋めようと孤軍奮闘しているのだ。Hさんの情熱的な話ぶりを通して、教育と学びの奥行きと拡がりを改めて教えていただいた。また、Hさんの情熱に応えるような動きを大学サイドでも繰り広げていくべきと大いに反省させられた。