あきらめるのは、まだ早い!  

姪の明日香からメールが来た。9月23日にあったスマナサーラ長老の講演会の模様を伝えてくれたのだ。長老はまさに明日香の「いのちの恩人」。どんな出会いとなったか気になっていただけに、うれしい便りである。メールには、次のようなくだりがある。

・・・無意識のうちに、スマナサーラ長老を神様につくりあげてしまってたわ。っということで、喜び・楽しさは外にはなかったことを再確認できて、これが良かった。スマナサーラ長老に会えたから最高〜!ではなく、長老の智慧をもらえたのと生き方の方法を教えてもらえたことに喜ばんといけんね。・・・・

自己批評の目をもちながら、しっかりと社会への再適応を実現しつつあることを知り、とても嬉しい。
そして、メールには、長老の講演会メモが添えられていた。ノートをとらなかったので、記憶をたどりながら、後で記していったものだそうだ。あな恐るべしである。講演会に、長老の言葉の一つ一つをもらすまいと耳をすまし、全身で長老の言葉を受け止め、すくいあげていった様がひしひしと伝わってくる。

それにしても冒頭の逸話の悲しみの深さには、言葉を失ってしまう。その悲しみの淵から、「あきらめるのは、まだ早い!」と説き始める仏教の教えは凄いというしかない。


【あきらめるのは、まだ早い!】
 A.スマナサーラ長老 講話
 仏暦2550年9月23日

昔、高い身分の家に生まれた少女がいました。少女の周りには使いの者たちが常にいて、とにかく贅沢な暮らしで育てられていました。ある日、家の庭から少年をみました。少女は初めて男の人をみたので、この世には男の人はあの人しかいない、と思い込んでしまい少年に恋をしました。そして、少年にその想いを伝えたが、カースト制度がありますから少年は、「とんでもない、私はあなたとお付き合いできる身分ではありません。」と断り続けました。が少女はこの男の人しか見えていませんでしたから、ひたすら伝え続けました。身分の違う二人を、周りは認めるはずがありません。結局、少女と少年はかけおちして、人里はなれた森の中にいきました。やがて女は子供を身ごもりました。男は子供を生むことに反対?しました。

…しかし子供は誕生して、また二人目の子供を身ごもりました。女は男に反対されると思い、子供を連れて、男に見つからないように森の奥にいき、出産しようとしました。豊かに育った少女がいきなり森の中での生活です、ここまででもいかに大変か、いうまでもありません。

男は姿が見えなくなった子供と女を何日も何日も捜し続けました。 やっとのことで見つけてとにかく森の奥では…ということで?安全に産めるところへと移動しようとしたところ、大雨が降ってきた中、女が陣痛がはじまってしまいました。男は大慌てで、出産できるよう木の枝やら葉っぱやら集めるために「ここで待っていろよ!」といって準備に出かけていきました。しかし、大雨の中出かけていった男のうえに雷が落ちて、男は死んでしまいました。なかなか戻ってこない男を女と子供はひたすら痛みの中待ち続けました。翌朝、陣痛もおさまった女は、男を捜しにいったところ男が死んでいるのがわかりました。

悲しみに陥っている間もなく二人目の子供が誕生しました。女は必死で子供を守るために、自分の家に戻るために二人の子供を連れてその場を出発しました。途中川があり、昨夜の大雨でその川は氾濫していて、子供二人を抱えて渡れる状態ではなかったので、女はひとりずつ向こう岸に子供を連れていくことにして、ひとりの子供を抱えて川を渡り、一人目の子供を置いて、二人目の子供を連れてこようと川を渡り、戻ろう…とそのとき、空中に鷹がえさを探して子供を見ていました。女は川の真ん中で鷹を追いはらおうと必死に手をたたいて鷹を追いはらいました。が、鷹に狙われたら最後です。手を叩いた母親をみた一人目の子供が自分を呼んでいると思ってしまい、川の中に入ってしまいました。幼い子供はあっという間に、川に流されてしまいました。母親が流される子供を助けようとしている、そのときに、もう一人の生まれたての赤ちゃんは鷹のえさになってしまいました。

夫の死、そして一期に二人の子供の死。女は気が狂ってしまいました。しかし、女は自分の父親に会いにひたすら家に向かいました。気が狂ってしまっていますから、女は裸です。途中女を見た子供は石をなげるわー大人たちは気ちがい扱いです。そして、自分の家の門までたどりついたが、既に紛争か何かで?家は焼けて親も死んでいました。女はお父さんを探し求めて街中を裸でいることにさえもわからない状態で歩き続きました。

みんな女を気ちがいの目でみる中、仏弟子が「お父さんはあちらにいますよ。」といって教えてくれました。女はさっそくその場に向かいました。実はそこはお釈迦様のいる場所でした。お釈迦様のいるところに着いたものの、女は裸です。「お父さんに会わせて」といっても、裸でこの女は裸で失礼な、、ということで通してくれません。外の様子が騒がしい様子をお釈迦さまは気が付かれて、詳細を聞いたお釈迦様は、その女を「どうぞ通してください」と女を向かいいれました。

そして、女に一言「おかえりなさい」と。おっしゃられた瞬間、女は正気に戻り自分が裸であることにそこで初めて気が付き、その場にしゃがみこみました。お釈迦様は着るものをもってこさせて着させてあげました。

少女は男を求めて、次に子供を求めて、次に親を求めて、しかし、みんな死んでしまいました。人生はそんなものです。苦しいものです。その女性の名はパタティターと言い、お釈迦様の教えで悟った賢者となりました。

(というお話からはじまりました)


■大逆転できる人には、大失敗も小失敗もない。 
−期待する人は少々の失敗で落ち込んでいる。
−「大成功」したという、「観念」が大失敗の原因になってしまうのです。
−妄想、観念、夢、期待などを止めて、具体的にアプローチしましょう。
− 自分を育てなさい = 問題は自分にある。


宗教(俗の)→ おまかせ世界。責任逃れ。
ブッダの教え → 具体的。宗教性がない。


■全ての現象は無常です。変化します。 これが真理、真実です。

(例)赤ちゃんがかわいいのは一秒もジッとしていないから。何をやるかわからないからかわいく思うのです。=大人がかわいく思えないのは、変化のスピードが早くないから。常に変わっているのに、変化を認めず悩んだり、落ち込んだり、しているから。

(例)楽しいと思うのは、思えるのは、変化しているから。

しかし、

■「変えられないものはありません」と言ってはいけません。 
−なぜなら、法則がありますから。私の勝手では変えられないものがある。

■すべては因縁に依るものです。 
−だから、勉強すればよい。
 (例)トマトは、もとはくさ〜く、苦かったんです。勉強したから今のトマトを作ることができたのです。

世の中、変えられるものと変えられないないものがあると理解する。

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失敗を成功に逆転するために

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1. 失敗を認める
■世の中で一番大切なこと、子供を育てる、人間を育てること。これをやっているのは誰ですか?まだ何もわかっていない若い女性が母になるのです。           −他人のせいにするな。
− 他人の過ちを観るな。
−自分を観なさい。私が私の仕事をやっているのかを観なさい。
−認めたくない気持ちは心の中に潜んでいる。
−他人に言われると、落ち込んだり、怒ったり、攻撃したり、自分をごまかして正当化しようとしたりする。 → 他人に言われる前に気づくと良い。
−認めたくない気持ちは自分を過剰に評価している。自我中心的。

2. 原因を見出す。
−失敗を認めない人も原因を探すが、それは原因ではなく言い訳になるのです。
−失敗を乗り越えることはできない。
−客観的に認めることができる人は、瞬時にその原因を見出せる。

<失敗の原因>
−やり方を理解しなかった場合。
−感情にこころが汚染されている。明るく、優しいこころでやると失敗しない。
−感情は目が覚めてから寝るまで使っちゃいけない。
−感情により、こころが頑固に堅くなっている。頑固は失敗したから故のもの。
−明るさがない
−楽しみを感じつつ仕事をしない。
−集中力・落ち着きがない。
−判断能力がない。
−「投げやり」のアプローチ、自分の仕事に大事な意義があると思わないから。

★「仕事」は何でも仕事。 「仕事」とは「やる事」なのです。役に立たないことは、本来ありません。やるべき時にやるならば、全て大事な仕事。

−期待をするから失敗。妄想的。具体的でない。
−自分に自信がない。
−慈しみではなく、怒り・差別のこころでは失敗する。

3. 「我」をなくし、「課題」に向き合う
−「自分がいない」という態度で企画する。
−自分という気持ちをなくす。自我意識を捨てる。
−「実現は可能か」「必要か」の基準に基づいて計画する

4. 成功になる原因・条件を見出す

5. 努力して原因と条件が揃う
−過程だけに集中する。プロセスに集中。
−結果に足をひっぱられない。ゴールはどうでもいい。
−結果ってのはない。危険な錯覚である。なぜなら次の事が待ってるから。
−何も止まらない。ポーっとしている暇はない。

「 人生は休むヒマないよ」

−一直線でゴールまでいけない。

<注意すること>
−ゴール、目的、期待、希望、願望、夢にばかり注意すると確実に失敗する。
−「どうしよう〜」ではなく、「どうすれば」で行うこと。
−終わったことは終わった。気にするな。うまくいって過去を思うとそれは失敗。
−「これからどうすればいいか」なんて思ってはダメ!「今何をやるべきか」。
−今、実際に行っていることに注意する!
−小さな成功、瞬間の成功をやれば成功なのです。
−人の話し合い(話すこと)、コミュニケーションは過去か将来か。=無駄


6. 期待した結果は自然に現れる
−「雌鳥が卵を育てている様子はかわいいです。微妙な温度調整、卵の向き、時期を、雌鳥はひたすら卵に対して行っているのです。雌鳥は祈りませんよ。」
− 従って、自然に結果は現れるもの。

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o 道徳
o 理性
o 今の瞬間
o 状況を客観的に観る知恵を開発する
o 何か決めたら、結果が出るまで絶対腰を上げるな!


by お釈迦様