かつての同僚と大いに談論風発

昨日は、以前の職場(九州経済調査協会)の設立60周年記念パーティに出かけ、かつての同僚と大いに飲み、語らった。なかには20年ぶりにお会いした先輩や、かつて仕事でおつきあい頂いた大学等の関係者も多数おられ、互いに変わり果てた様に(相手と当方のどちらの変化が激しいかは、もちろんわからないが)、しばし慈しみ(笑)の視線を投げあい、挨拶を交わしていった。
フォーマルなパーティの後、現役やOBを中心とした二次会でしばし談論風発。当然のことながらウィスキーのピッチは上がり、声の調子にも遠慮容赦のなさが如実に現れる。久しく無沙汰を決め込んでいたOBとしては、調査を生業としするこの組織が現在どんな状況となっているのか、大声のやりとりのなかで大方の検討をつけないといけない。しかし、共に苦労した体験をもつ仲間というか戦友だけに、話は単刀直入で、飾る必要がまったくない。その組織を離れて10年が経つというのに、あっと言う間にキャッチアップし、状況を共有できるまでになるから不思議だ。気がついたら、座の中心で大きな声を出し、「せっかくだったこうしたら」とか「どうせならこうしようよ」と、まるで現役に戻ったような気持ちで後輩たちに、発破をかけている自分がいた。
こうなったら、止まらない。語りたらないという面持ちの6人(森本さん、高木君、縄田君、田代君、八尋君、そしてOBの僕)で「益正」へ。一同、ますますボルテージが上がっていった。ふだんだと三次会ともなると記憶が霞んでしまうけれど、結構覚えているから不思議だ。前の職場に対する愛着と心配がなせるわざか。調査機関が俯瞰的な調査だけでは成立しずらくなってしまったこと、自らが活動主体として事業を起こし、社会のなかでP(Plan)・D(Do)・C(Check)・A(Action)のサイクルを回す役回りと舞台をつくる必要がある等々、大学の惨状をそっちのけに、ずいぶんとエラそうなことを言ってしまった。反省である。
しかし、言い切り型の物言いのなかで、大学における今の仕事と地域調査機関とは、人材育成プログラムの開発等を含め、いろんな接点や連携の新しい可能性がありそうな気がしてきたのは確かだ。これまでは、去りゆきし人間として、一種の敷居の高さを感じていたけれど、10年たって初めて、新しい関係性を相互に模索していけそうな予感が膨らんできたのは嬉しい限りだ。そうしたことも、組織がゴーイングコンサーンとして存続し続けているからこそである。苦しい状況のなかで健闘し続ける友人たちに感謝するしかない。


(追記)今朝は、ほろ苦の二日酔い状態で目を覚ました後、風呂でしゃきっとした気分を取り戻し、5:45に家を出て承天寺へ。さすがに、血中にアルコールを残した状態での坐禅はつらいものがあった。妄想・酒想もとどまることがなかった。「酔境ダルマ」ではやはり洒落にならない(笑)。