ゆるりと夜話を楽しむ


カキとクリをお供に、今年はじめての海岸清掃に出かけた。今日は総勢7名とほぼフルメンバーが参加。いつものように淡々とゴミを回収し、ビニール袋へ。カキとクリは、清掃現場を疾駆し、海岸の石を跳躍して回る。ゴミ回収作業については我関せずを決め込み、清掃隊の周りでひたすら遊びまわるだけである。
ゴミを終わった後は、芥屋かぶが大きくなっているから取りに来たらという東紀子さんのお誘いで、生活環境部会の「くりあい農園」へ。ほくほくした畑から芥屋かぶを抜いていくと、すぐ袋いっぱいになった。あとは大根も一本頂戴した也。収穫作業がおわると、お酒の集まり大好きの久保秀明さんから「新年会、どうします?」との問いかけというかお誘い(笑)。それを受け、東さんから「それじゃ、今日、6時頃から夜話(よばなし)をしない」との提案があって即決。料理は久保さんと高山香月さんが男の手料理で、いわしのツミレ汁をつくることに決定。
夜話とは広辞苑によると、「午後6時頃から催す茶の会。夜話茶会。夜咄の茶事。茶事七式の一。」とある。当方、初の経験である。そこで、6時近くになるのを待って、カミさんともに歩いて東邸へ。座敷に通されると、そこには新たにしつらえられた「炉」があって、五徳の上で釜の湯がことことと音を立て始めていた。夜の茶会となると、お酒はどうなるのかと気掛かりであったが、銘々の席には二段重ねの膳がしつらえられ、酒の肴がおしゃれにのっている。これに、サバやサワラの刺し身が加わり、通常の宴会モードで宴席がスタートした。で、3時間近くもお酒を飲み、ツミレ汁をすすりながらのおしゃべりを楽しんだところで、「それじゃ、お茶にしましょう」ということで、膳をさげお茶会に移行。東さんに立てていただいた抹茶を、正客役の久保さん、高山香月さんを皮切りに一人一人、作法にのっとっていただいていった。
宴会の後に、茶会として正式のお茶をいただくというのは慣れないこともあって、いくらか酔いも引き、不思議な気分である。あるいは、抹茶のほろ苦さとお酒との得も言われぬバランスによって、ほどほどの酔い加減になったというべきか。いずれにしても、「お酒とお茶」というふだんは同時に味わうことのない組み合わせは、結構楽しいものであった。久保さんは志摩町にお勤めの身であるが、東夫妻・高山夫妻は退職後に芥屋に移り住まれてきた、いわば大先輩である。今回味わわせていただいた夜話の楽しさ、いい感じの背景には、こうした顔ぶれの妙がある。人の縁は本当に大切だ。
お酒のほうは率直なところ、も少し飲みたいなという気もしたけれど、宴会の最後を茶会の渋い抹茶でしめるというのは、「大人の遊び」としてなかなかグーである。柄にもなく知足というか程よいところで終わりにすることを学ぶ(笑)、いい機会となった。宴会と言えばどうしても男主体のディープな飲み会となりがちな、伝統的な地域コミュニティーにおいて、こうした趣向が広がるのは悪くない。「田舎の都会人」(夜話で出てきた表現である)の新しいセンスやライフスタイルがあってこそ、地域が少しずつ、多元的な社会として開かれた存在になっていくのだ。「田舎の都会人」の役割は、組織の制約や地域のシガラミから少し離れたところで、自由人としての行動をさりげなく探求し提示していくことにあると思う。東夫妻、高山夫妻、そして久保夫妻、いずれもその妙を心得ておられる。それぞれに「人生を楽しむ」ことに情熱を傾けておられていて、教えられること大である。。
そうそう、夜話で紹介された話として、芥屋旅館外でもっとも集客力のある民宿Iの若お上が最近、宿の前の海岸のゴミ掃除を始めたということを聞いた。これまで、民宿Iの前のゴミを拾いながら、「なぜ宿の人たちは自らゴミを拾おうとしないのだろう」とよく話題にしてきたものだけれど、小さな変化が生まれ始めたのかも知れない。昔ながらの地域社会のよさが残る芥屋であろばこそ、地付きの人びと「田舎の都会人」とのいい関係づくりがこれからますます重要になってくるように思う。夜話では、次回は地付きの人びとも誘い、ともに楽しむことができたらいいねという話になった。

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