「落第人生」を語られる先生の魅力

大学の同窓生が集まり、恩師の「新たな出発を祝う会」を行った。そのI先生とはこの1月に開かれた九州同窓会で実に27年ぶりにお会いし、その変わらぬ雰囲気や元気なご様子に感嘆したのだった。そして、同窓会の二次会で、T大をやめられた後、K大を経て、地元F大で5年半教鞭をとられ、この3月いっぱいで定年退職されるI先生の「最終講義」を開こうということになった。場所は、躍進著しいある学習塾の新本館に即決定。塾を率いる社長が同窓生であり、また新本館の設計を同窓生が担当したということもあって、その完成祝賀会をかねた会として、同窓生で集まろうということになったというわけだ。
I先生には、「体験的教育論」と題して1時間の講演をしていただいた。その冒頭、自己紹介(経歴紹介)の次に出てきたのが、「落第人生」というタイトルのページだ。そこには、先生の人生観や人となりが凝縮されていて、その率直さにのっけからガツンと頭をなぐられた。


■落第人生
経歴だけをみると、成功した人生に見えるが、落第人生
 2年浪人している
 博士論文の完成までに30年かかっている
 教授になるのにかなりの時間がかかっている
しかしその挫折が人間を大きくしてくれたものと考える
成功だけでは、続かない。人生必ず「壁」にぶつかり、それを如何に乗り越えるられるかが、人生の価値につながる
 もちろん、成功だけできている人がいることはいるし、そう見える人もいるが、内面を見ると必ずしもそうでなない。
先生は自らの「落第人生」について淡々飄々と語られた後、これからの時代は大学のみならず、社会全体として教育のありかたを根源的に問い直すべきであるとの思いを、自らの経験と実践をまじえ、熱くそしてユーモアたっぷりに語られた。


■知識と総合化
現在の教育論で論議されていないことは、教育の目標は何かについてである。
教育には、知識を豊富に持たせる行為と、それを総合化させる力の養成の2面がある。
現在の教育の最大の問題点は前者が強調されていることである。
しかし、それだけでだめなことは誰もが知っている。


総合化させる力の重要性を述べられたあと、先生は、知識を豊富にもち(何でも知っている)、暗記が上手な人間は「能吏」としては活躍できて、使い勝手がよくても、会社や地域、国の方向を定める仕事には向かないとキッパリ明言された。現代日本の誤ったエリート教育批判がそこにあった。「エリート」を大量に輩出してきたT大にあって、先生の周辺でも、日本のトップエリートとして真に活躍した人間はごくわずかでしかないと、福岡の名だたる学習塾の本館祝賀会であえておっしゃる生真面目さがたまらなく心にしみた。
そうした限界をもつT大にあって、先生はアメリカンフットボール部での経験をとおして(先生はT大アメフト部の創設者である)、総合化に向かう人間力を鍛えることができたとおっしゃった。


アメリカンフットボール
その当時のアメリカンフットボールはマイナー
 一定の能力のある集団が体制派でないスポーツを選んだ
 巨人・大鵬・卵焼きが好きな「常識派」ではない天邪鬼が多かった
個性が強い人が多く、協調性がない。しかし試合に勝つためには協調しなくてはならない
そこに独特の「特立独歩の精神」が養われた
そこで鍛えられた精神を社会に出ても持続させたことが、社会での成功につながっているのではないかと考えている。


こうした主張とともに、T大一般と異って、アメリカンフットボール部での8年間にわたる仲間からは、大学、経済界、芸能界、政治など幅広い世界で活躍する人間が数多く出ていることを事例で紹介された。
「本当のエリート育成」のためのシステムを根本からつくりなおすために、ギャップイヤー制度をもち、最優秀の生徒達が「将来の夢は?」と問われ、「boarding school(地方にある寄宿制の学校)の先生なる」と述べるような英国や、哲学や数学を徹底的に教え、論理的な人材育成に注力するフランスの制度を学ぶ必要があると述べられた
そして、先生が取り組まれてきた環境問題のような身近な問題では徹底した現場主義が必要であると最後に力説されたのだった。そのために先生は「総合演習」という教育方法を模索されたとのこと。しかし、それは「完成できなかった」という言葉がレジメの最後に添えられていた。
先生の誠実な生き方にふれ、後に続くものとしてたくさんの宿題をいただいた。素晴らしい「最終講義」だった。