地祭(じまつり)のかたち


天神地祇 諸災解除 八百万神 組内安全」を祈祝する地祭・大祖神社地鎮祭が峰組の集会所で行われた。昨年に続き二度目の経験である。25〜26人が祭壇を前に座る中、11時から神事が始まった。「筑紫瑞穂の国の、、、八百万の神々、、、」との祝詞が上げられ、「芥屋峰組に災いなからんことを、、、」との祈願がお祓いともに執り行われた。正面に「福神御系図」がかけられた祭壇に、酒、米、魚(鯛)、野菜、果物などが供えられている。神事が終わると、お神酒がふるまわれ、膾(なます)を肴にしばし歓談。大門のふもとにある大祖神社は芥屋区の守り神で、世帯は自動的に氏子となる。もちろん、信仰の自由が保障されている現代にあってはノーと言えば氏子となることを断ることはできるが、我が家は神棚こそなけれ、末端の氏子(笑)として護っていただいている。地祭は当然のことながら氏子として参加する。
お神酒のふるまいが終わると、袋に小分けされた「お汐井」(浜の真砂)を銘々いただき散会となる。お汐井は、家の角角にまくと、災厄払いやムカデ等の撃退を祈願するのに効果アリということなので、我が家の四方にも信心をあらたかにして(笑)撒いていった。
散会の後は数名で、組内安全を祈願するためのお札を、組の境界7ヶ所に立ててまわる。組の内と外を画し、外から災厄が入りこまないようにとの御まじないである。地祭の意義は、この結界の神事にあるわけだ。
結界される辻にお札を立てる。お札の真ん中には「大祖神社地鎮祭祈祝」と書かれ、右に「天神地祇 諸災解除」、左に「八百万神 組内安全」との文字が並ぶ。組の諸災解除と安全を祈願するというわけだ。地域の共同性を確認し護っていくこうした習俗は、今となっては「かたち」のみがしっかり残り、意味内容が希薄になっているけれど、かたちが残っているだけでもメッケモノではないか。温故知新よろしく、かたち(形式)から入り、現代社会の諸条件をにらみ新しい意味や物語をのせていくこともアリだと思う。それを契機として、地域コミュニティーのありかたをリ・デザインしていく新たな可能性が開かれていくような気がする。何より、「天神地祇 諸災解除 八百万神 組内安全」と書いたお札が、辻や畑のわきに突っ立っていている光景というのは、とても楽しく愛嬌があっていい。そのうち、まちの外からの来訪者や外国人がこれらをみて「かわいい!」と嬌声をあげる事態が出現するかもしれない。
けれども、八百万の神々が組内→家内→個人と焦点を絞り込んできて、有難いご加護ともに、一々の民草についても目を光らせてますよとなれば、「いいかげん教」の信者でもある当方としては参ったなぁとなってしまう。くれぐれも結界札に千鳥足でぶつからないようにしないと、神々にお目玉をくらい“災厄解除”“結界”されそうだ(笑)。


(お御酒と膾)