承天寺の怒り(5)建築学生参禅にしばしの和み


朝から夏を思わせるような日差しと温かい空気を感じながら承天寺へ。すると、門の前に学生たちが集まり、明るい健康な雰囲気をあたりに発散させていた。聞くと、九州大学で建築を学ぶ学生たちで、よく知るI先生のゼミ生であるという。初めて承天寺を訪れ、坐禅を組むのも初めてだそうだ。
8名の学生たちを迎え、今日の寺は何となくはなやぐような雰囲気が充ちていた。「雑巾がけははじめてです」とアッケラカンとした学生を含め、お堂の廊下や縁側を掃除した後、上方が8名を集め、坐禅の心得と作法を説明。上方の軽妙な説明を、屈託のない顔でにこやかに聞く学生たちの様が、じつにほほ笑ましい。なぜ禅寺へと聞くと、「坐禅を組むと心がおちつくように思い、それを体験してみたくて」と思った一人の女子学生が、インターネットで調べ(このブログも見たようだ)、事前に連絡をとってやってきたのだという。その行動力はたいしたものだ。早朝6時半というのに、8名もの学生が集まるというのはちょっと驚きだ。好奇心旺盛、大いに結構。(集団行動であるという点がちょっと気になるけど、まぁそれはおいておこう。個の内面への旅のきっかけが集団の行為ということもあありうるからだ)
総勢15名もの参禅者がそろった今日のお茶会は、ふだんと違って大広間へ。上方はもちろんのこと先輩参禅者も学生たちに「よく来たね」との歓迎モードで、いつになく話がはずんだ。そして偶然にも、学生たちは建築専攻である。マンション建設計画についても、上方が経緯と現状について説明し、「あななたちも現場をみてしっかり考えてよ」と語りかけた。お茶会の後は、本堂に戻り、学生たちを集めての承天寺歴史講座。山笠シーズンが近づいたこともあって、本堂に置かれた施餓鬼棚(山笠の原型)には、始祖とされる聖一国師の掛け軸が飾られている。施餓鬼棚の前で、山笠の由来に始まり、聖一国師がうどん・蕎麦、羊羹・饅頭、博多織の製法を初めて日本に紹介 したこと等々。年越しそばも、飢饉のときに承天寺の開山・謝国明が博多の人々にそばがきを振る舞ったのが始まりであるとの説明には、「へぇ〜、知らんやったぁ〜」。歴史がぎっしり詰まった本堂で、上方から直接に歴史の講釈を聞けるというのは、運のいい連中だ。
歴史講座の後は、教員としての職業意識にもかられ(笑)、マンション建設予定地に学生たちを案内した。これから建築家を志す学生にとっては、「建築行為と景観形成」「私的財産権と公共利益」「景観と市民モラル」といったことを考えるいい絶好の機会だ。余計なお世話と思いつつ、学生たちにはついつい「今回の問題を誰かきちんと事例研究しないか」「修士論文のテーマにも十分なるよ」と言ってしまう。また、「それぞれに景観問題を調べてて、耳寄りの情報があったらお寺のほうにぜひ知らせて欲しい」とも。
若く元気のいい参禅者の訪問に、音二郎さんも墓のなかで、しばし気分を和ませていたのではないだろうか。

(追記)
町並み・景観保存地区(名古屋市白壁地区)のマンション計画に対し、住民の景観利益を根拠に、高さ20メートルを超える部分の建築を差し止める仮処分申し立てを認めた、名古屋地裁判例のコピーを上方にお渡ししておいた。先日、水野さんから頂いたもので、感動すら覚える画期的判例である。どう画期的であるかというのは次回ということで。