承天寺の怒り(9)“ものわかりのよさ"の危険性

昨日、今回のマンション建設が提起している問題を幅広く検討しようということで、地元自治会、公民館、山笠振興会、まちづくり組織、工業組合(博多織・麺類)の代表等が御供所公民館に集まり協議した。関係者が集う検討会にこぎつけたのは、寺町ネット協議会メンバーの奔走あってこそだ。検討会の後半部では、福岡市都市景観室の永野間室長に都市景観形成地区についての説明や、東宝住宅の計画についての市の対応などについて伺うことができた。
前半の関係者検討会では、もちろん、東宝住宅のマンション計画に対する次の一手をどう講じていくかに集約されたが、何せ、相手の出方が全く読めない、情報がないということで、議論そのものが隔靴掻痒の状態とならざるを得なかった。参加いただいた新宮県議・南原市議も決定打を打ち出せないもどかしさを隠されなかった。行政が景観の形成・保全をすすめるうえで重要な役割を担わざるをえないとはいえ、現在の条例のもとでは行政が強制力を持ちえないために、指導とお願いを重ねるしかないという状況である。しかし諦めることなく、この地区の文化と承天寺の大切さについて、会社の社長をはじめ皆さんの「こころ」に訴えることを忘れないでおこうという発言もなされ、健全なバランス感覚の存在に感心をした。ただ、先が見えないという苛立ちは、住民・関係者の間からぬぐえない。
その苛立ちを背とした長谷川法世さんの発言が、今回も一同にぐさっと響いた。「行政はオリンピック誘致という歴史的大事業はできるというのに、承天寺周辺の景観問題ごときがなぜ解決できないのか」「二言目には今の条例では無理云々といった“ものわかりのよさ"だけでいいのか」と言われるのだ。そして「川上音二郎の墓を国宝にするくらいのウラ技も必要なのじゃ」と、音さんに負けない諧謔精神も披露された。どうしても現状制度の枠内もしくは周辺での思考にしばられがちな身からすると、さすが法世さん、スカッとして気持ちがいい。

後半部、永野間室長は詳しい資料をもとに、景観条例に基づく都市景観地区指定の経緯や、承天寺が含まれる御供所地区都市景観形成地区の方針・基準、マンション計画に係わる会社との協議経緯について、丁寧に説明された。ご本人の説明によると、景観室は二度目の配属だそうで、前回配属の折は、御供所地区景観地区形成について検討会に参加された御供所まちづくい協議会の方々と一緒に汗をかかれたとのこと。それゆえか、御供所へのこだわりや愛着がにじみ出ていた。永野間室長の誠実な対応ぶりは、「役所」というより「市民」「住民」の目線があればこそと即座に了解できた。また、この30日に東宝住宅から修正計画案が提出されるとのことで、その内容いかんによっては市長名の公文書をもって北九州市の本社に行きます、ときっぱりと発言された。信念をもった骨のある行政マンに久しぶりにお会いしたと思った。福岡市も捨てたもんじゃない! 行政がかかえる限界や制約は、市長のリーダーシップと並行して、現場のギリギリのところで頑張る永野間室長のような存在があってこそ突破できるに違いない。
何一つ先が見えたわけではないが、疲労感のなかにも不思議な充実感を覚えた会合であった。