櫛田さまで織り姫たちと


博多織の次世代の担い手育成のための学校である博多織デベロップメントカレッジの講師と生徒の懇親会があり、櫛田神社の境内にある櫛田会館に、なぜか洋菓子(笑)を携え出かけた。博多の人間でもなかなか入ることのできない建物である。50畳近くはあろうかという大広間に、でーんと七輪を真ん中においた車座用の座卓が7〜8卓セットされ、博多伝統・水炊き料理の準備がしつらえられていた。
人間国宝でもある小川規三郎学長の挨拶、二期生13人の自己紹介の後、博多風の宴会が始まった。学生たち、講師連に加え、博多織工業組合の方々、山笠振興会の役員さん(正装の法被姿である)参加され、賑やかなことこの上ない。もちろん、櫛田神社宮司、博多織発祥である承天寺の上方も座られ、さながら博多のまちの文化宴会の趣であった。水炊き鍋は博多ごりょんさんの手づくりとのこと。第二期生が考えた会のコンセプト「博多を味わい、人を味わう」がまさにぴったりである。
こうして博多織の伝統を革新し永続させてほしいと願う多くの人たちの温かい視線と応援につつまれて学ぶカレッジの学生たちは、ホントに幸せであると思った。
大広間の座卓をいくつかまわり、数名の二期生に「どうして博多織なの?」と聞きながら話を聞いていった。「博多織に夢を感じた」「手に職をつけたい」「昔からものづくり仕事がしたかった」「組織のなかで一生を終わるのは人生が勿体ない」と様々である。けれども、学生たちはそれぞれが現状に閉塞感を感じたり、将来に「これだ!」という確信がもてないという状況のなかで、手仕事をベースとした「伝統」の世界に、人生の確かな参照点・基準点としての魅力や期待をそれぞれに感じて志願してきているように思った。ある女性は、「機を織ると心がやすらぐので嬉しい」との意見を述べてくれた。
承天寺が遭遇している景観と町並みの問題もそうだけれど、代々の行為が重なり、その都度新しいものも受け入れながら、文化として受け継がれてきた「伝統」との向き合いかたを、われわれはライフスタイル、産業、教育、まちづくりとあらうる角度から再検討していくべき時期に来ているように思う。それにはもちろん結構大変な作業が知的にも必要とされるだろう。それはさておき、現在、博多織 、承天寺、禅、麺、山笠、まち・・・といろんな縁がつながり、生活世界としての膨らみを実感として経験することができて、気分は上々である。こんな時は飲み過ぎて、乗り物の寝過しに気をつけないとヤバそうだ(笑)。

(追記)
小川校長が挨拶のなかで、やがて迎える「七夕」は「棚(たな)機(はた)」、すなわち機(織物)を棚に飾り、カミに捧げるのがもともとの意味であると述べられた。それを聞きながら、カレッジの学生たちは織り姫として大切にしないといけないとの勝手が解釈が本日の標題の背景にあります。