ロースクールでの講義とポカ

20日(水)のことである。福岡大学法科大学院ロースクール)における「地域と法律家」というシリーズ講義の一コマで話をした。お相手はロースクール2期生の35人。シリーズを企画されている旧知の森淳二朗先生から「学生たちがふだん接することのない新しい視点を提示していただければ」と頼まれ、昨年に引き続き2回目である。「人間を理解しなおす」という演題で、ユーザーサイエンスが考える「感性」を軸とした新しい人間理解について、脳科学や心理学の知見なども紹介しながらお話した。
冒頭ではまず「今の気分はどうですか?」と10名くらいの学生さんに聞いていった。ロースクールではそうした質問がなされることはまずないのであろう、言葉につまる学生が結構いたりで面白かった。と同時に、ある意味、「弁論」に係わるビジネスである法曹をめざすのに、即座のレスポンスがないのはちょっと「?」と思った。いずれにせよ、法律家の卵である彼らは、「事実」と「論理」の世界、あるいは「法律的な安定性」に向き合いつつ、ハードな勉強の日々を送っている。そうしたなかで、自分の今・ここでの感情について自ら問い直すことがなかったことに気づいてくれたようだ。「食後で眠たくなりそうで不安です」と答えたある学生は感想文のなかで、「それを答えると失礼だと思う一方、頭のなかではそのことで一杯で、それ以外の言葉が思い浮かばなかった」「心と脳のつながりの不思議を実感した瞬間でした」と書いていた。論理必然性ではなく、生のもつ偶有性、あいまい性にの本質に触れてくれたようだ。何がどう人の心に響くかわからない。教室は不確実性がひろがる空間である。
また読んでいてうれしい感想として、Tさんが「同じ経験ではなく、自分と同じパターンを相手の中に見つけて刺激することで共鳴がおきて共感を得られる」「相手に残っている何かと、自分の中にある何かをふれ合わせることが大事なのだ」「自分の中に何かをたくさんもっている人間になることがより多くの人と共感でき、コミュニケーションができるということになると思います」と書いていた。質疑応答のなかで、どうして共感というのが生じるか、そのなかで感性の役割はと聞かれて、僕なりの答えをしたことに対する理解を、じつに的確に、僕以上の(笑)深い理解として返してくれているではないか。まさに「教えることは学ぶことなり」を実感させていただいた。
「世界は思い込みと意味で満ちている」という講義での問いかけに対しても、「法律家をめざす私たちはどうしても法律的なフィルターを通して、事実を意味づけてしまいます。」「自分に問いかけ、素直にどう感じるか、法律家としてではなく、一人の人間としての感性というものを大事にしていきたい」(Kさん)と、ぐぐっとくる感想も寄せられた。
あるいは、「人間の根源的なもの、人間に普遍的なものが明らかにされれば、他人を理解し、許容していくにはどうすれば良いのかが解明され、人を理解できる」「人間味あふれる法律家になりたい」(Yさん)とも。
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全受講生が、それぞれA4・1枚の用紙を使って、丁寧に感想を書いてくれた。また、そのほとんどは、さすがに法曹志望らしく、じつに論理的である。そうした彼らに話をするというのは、こちらの「論理の穴」をチェックし、感性を覚醒するのに大いに効果アリであった。覚醒しすぎたためか(笑)、講義修了後、駐車場でクルマに乗り込んだ折、財布を落としてしまったらしい。帰りしなに寄った理容店で財布がないことに気づき、大学院事務室の方々に大走査線をはってもらうなど、迷惑をかけてしまった。さて、結果は? 「駐車場脇の守衛室に届けられています」との連絡を、能天気にヒゲをそってもらっている最中に同事務室から連絡をいただいた。「人間とはポカをしでかす生き物である」との普遍性にまたしても遭遇してしまった(笑)。