“鬼太郎”に見る悲しみとものづくり

NHKスペシャルドラマ「鬼太郎が見た玉砕〜水木しげるの戦争〜」を観た。2〜3日前の日経プラスワンに、主役の香川照之とともに番組紹介されていたものだ。ラバウル戦線で不条理な玉砕命令をうけた部隊のなかで唯一生き残ってしまった水木しげるの実話に基づく戦記漫画「総員玉砕せよ!」をドラマ化したものである。
テレビドラマとしては秀作だ。ドラマでは、圧倒的に不利な戦況下、玉砕というエセ・ヒロイズムのもとで、日本人の上官の命令で死に追いやられた兵士たちの無念とその悲しみが、パプアニューギニアで撮影されたという臨場感あふれる映像とともに描かれていた。ドラマには、運んでいた丸太の下敷きになって死に、川に落ちてワニに食べられて死に、といった無益の死がいくつか挟み込まれていた。
ゲゲゲの鬼太郎」で売れっ子漫画家となった水木しげるは、不条理な死をとげざるをえなかた兵士たちの無念に突き動かされるように、その無念を表現すべく「総員玉砕せよ!」という作品に取りかかるのであった。そして作品を描き終えた後、軍曹から夢のなかで、「26年ぶりのニューギニア訪問でなぜ笑った」と難詰され、「生きているのが嬉しかった」と答えた水木役の丸山二等兵に、鬼軍曹は態度を変え「百歳まで生きよ」と力強く伝える。そして、その一言で背中に荷を下ろしたかのように、エンディングに挿入されていた85歳になる水木しげる翁の飄々とした実画像がこれまた何ともいえずよかった。
ひとの悲しみは果てがない。そして、その悲しみの原体験に押されるかたちで、水木しげるの世界が広がっていったのであった。じつは先日、角野さんが講演のなかで「ものは悲しみからも生まれる」ということをさりげなく言われ、とても気になっていた。僕は、5歳でお母様を亡くされた角野さんの深い悲しみに思いをめぐらした。ものを創るというのは大変な仕事だ。