千度汐井と風止め相撲

今日は、大祖神社と隣接する土俵を舞台として、「千度塩」と「風止め相撲」と2つの祭事が行われた。

「千度汐井」は、海岸で集めた小石千個を一個ずつ奉納し(そのたびごとに本殿に向かって二礼二拍一礼する)、五穀豊穣と諸災解除を祈るというものだ。鳥居の両脇に500個ずつ小石が入った箱が用意してあり、それを峰組、西組の人間がそれぞれ一個ずつすくいあげ、本殿前の奉納台まで持って行くというものだ。それを何度も繰り返すと(一人20回ずつくらい)、1時間ちかくで千個がすべて台の上にのり、祭事は無事終了する。

杖をついた人もいれば、腰のまがったおばぁもいるといった具合で、ほとんどの家から人が出て、「なかなか石が減らんねぇ」とか「しっかりお参りせなねぇ」とか言いながら、和気あいあいと神事はすすむ。毎年、立春から210日目の9月1日に行われるそうだけれど、今年は土曜日ということもあって、子どもたちの姿もあった。その子らが見よう見まねで、本殿に向かって手をあわす様は微笑ましい限りだ。この地区の子らはこうした神事に参加することで、「拝む」ということを自然に身につけていく。
(追記)かつて峰組の組長をされていた水口政夫さんの「気まぐれ通信」(2002.10.1)を見ると、千度汐井は千度参り(疫病や災難よけの共同祈願として行われ、大きな神助を祈願して集落全体で神仏に繰り返し祈願するもので、各地それぞれに特徴がある)の一つであるこことがわかった。また、百度参りが個人祈願であるのに対し、千度汐井は共同祈願であることも教えていただいた。こうした共同の神事が地域の根っこでいまだ継続して行われ散ることは感慨深い。

「風止め相撲」のほうは秋の収穫に先立ち、「糸島名物」の強風で収穫前の作物が痛まないよう祈願し、相撲を奉納するというもの。14時すぎからまずは、わまし姿の小学生たちが取組を行い、その後は地域の大人たちの三人勝ち抜き戦などが行われる。参加されていたある人によると、芥屋は昔から「宮相撲」が盛んなところだったそうで、かつてはきちんとした番付表があり、九州各地から強者力士が集い、優勝を競い合う興業として大いに盛り上がっていたそうだ。その名残として、かつて横綱たちが使っていた化粧まわしが興業元から譲り受け、地区の財産として受け継がれている。また、行事の衣装は何代目かの木村昭三郎から譲られたものであるという。インターネットで調べてみると、宮相撲は諸大名が力士たちを抱えて屋敷で相撲見物を楽しんだのが始まりで、それが農耕社会の大衆娯楽として興業化されていったものらしい。
 右側が我が峰組組長“よっちゃん”
しかし、興業として成立しなくなった現在は取り手を探すのが一苦労で、峰組の組長は60歳を超えているというのに人数あわせでかり出され、細身の体に廻しをされているのが何とも言えず気の毒(笑)であった。
大人たちの取組が終わると、この一年に生まれた男児の健やかな成長を祝う祭事が行われた。かわいい化粧まわしに紅白はちまき姿の4人の男児が、青年力士(独身であることが条件)に抱かれて、次つぎに土俵入りしていった。かわいらしいことこの上ない。家単位でなく、みんなで健康を祈願することで、子どもたちが社会の宝であることを確認しあう、とてもいい行事だ。

風止め相撲の一連儀式が終わると、土俵を取り囲む4つの柱に巻き付けられた紅白の布を、手ぬぐい風に切って希望者が大切そうに持ち帰る。白を持ち帰ると男児を、赤だと女児を授かるといういわれがあるとのこと。「あんたんとこも、もう一人どうね」と言われ、「そんなばかな」と言いつつ(笑)、縁起物だからということで白布をありがたく持ち帰った。