「感性のくに九州」を創るために

(同上タイトルで九州経済調査月報2007年9月号の巻頭言「ネットワーク」に寄稿した小文です)
数ヶ月前の日経新聞夕刊に、デュポン日本法人会長の随想が載っていた。随 想は夫婦で龍安寺の石庭を訪ねた際の印象記から始まり、「少しの無駄もなく 優雅ですらあるこの庭に、日本のモノづくりの特徴が凝縮されている。日本文 化の力をデュポン社の製品にいかしたい」という記述で結ばれていた。我々の見慣れた空間に海外から真剣な眼差しが寄せられている。日本人は相変わらず自画像を描くのが苦手である。けれども、外からの評価がなされてはじめて自文化を認識していくという、いつもの受身の姿勢はもうそろそろ改めたほうがいいように思う。
グローバリゼーションによって、製品仕様として数値化・規格化しやすい生産要素やそれに基づく企業活動は、まさに国境を超えてたえず移動し、世界的な流動化の波にさらされている。こうした中で、地域活性化の新しい芽を伸ばしていくためには最早、文化や生活様式、宗教観といった移転しずらいバナキュラーな(vernacular:その土地固有の)基盤にいま一度回帰し、そこから普遍性や競 争優位を引き出していくしかない。
また、過剰なまでの産業化によって、皮肉にも企業のコントロールを超えた「感」の時代が到来し、ビジネスや技術の言葉だけでは語りつくせない私的な領域が膨らみつつある。クルマを筆頭に、「いいもの」だけでは売れない時代となった。今日では企業のみならず社会経済のあらゆる領域の取り組みが、モノや技術の側からではなく、人間の感性や行動についての理解を軸として組み立て直す必要に迫られている。
感性や心が求められる時代は、エンドユーザーの多様なニーズ、まるごとの人間性に日々向き合わざるを得ない中小企業や地域社会にとって、間違いなくチャンス到来である。しかしその一方で、中小企業と言えど顧客の目からすれば、ホスピタリティや共感の演出力において、ディズニーランドのような国際企業と同列の評価にさらされることも忘れてはなるまい。
人びとに真の感動を呼び起こすことのできる感性インダストリーを、固有の歴史・文化をもつ「感性のくに九州」から、従来の業種区分や製造・サービスの区分を超えて多様に創造・発信していきたいものだ。そのためにはこれからの時代の社会像や企業像、仕事像にについて、根源的な問い直しが不可欠である。グローバル社会において地域が丈夫に賢く生きていくためには、目前の課題対応力や実務展開力とあわせ、ロングスパンのぶれない価値軸と思想の構築が何より必要である。

*財団法人 九州経済調査協会(九経調)→ http://www.kerc.or.jp/