落ち葉をひろいつつ

今年の「芥屋らくかい堂」、振り返ってみると、最大の「事件」はやはりマンション計画騒動である。「承天寺の怒り」の第1回目(4月26日)の書き込みに、<「事件」は突然もたらされ、日々の連続した世界に裂け目を入れる。今回立ち会うこととなった事件は、おそらくこれからいろんな問題をあぶり出し、様々な人間模様を浮かび上がられていくことになると思う>と書いていたが、その予感は見事に的中した。どう的中したかは、(1)から(18)まで改めてお読み下さい。
 http://d2.hatena.ne.jp/rakukaidou/20070426


ひっそりとしたたたずまいのブログであるが、マンション計画騒動もあってか、毎日50名近い方々にアクセスしていただくまでになった。アクセス件数のうちで、多い時にはその半数以上が「承天寺&マンション」というキーワードで検索し、アクセスされたものであった。詳細は不明だけれど、東宝住宅関係者のアクセスも相当あったはずだ。いずれにせよ、同時進行ブログを実践することで、インターネットの可能性というか影響力を実感することができたぶん、大いに勉強になった。会社サイドを含め、かなりの数の人たちに、「伝統と現代」「文化とビジネス」のはざまの問題を考えていただいたのではないだろうか。
で、肝心の坐禅会のほうはというと、このところポツリポツリの参加にとどまり、「なんばしよっとやぁ!」とお釈迦様の怒りを買いそうだ。しかし、こちらがローギア状態であるのをよそに、坐禅会のほうはいつの間にか、「体験モード」から「修行モード」に移行し、置いてけぼりをくらいそうだ(笑)。12月初旬の夜間3日間にわたって行われた「接心」の行には、6名の仲間が参加し、1炷(火に主)1時間の坐禅を一日3本続けてやる行を3日とも完遂したというから驚いてしまった。
久しぶりの参禅となった27日の早朝坐禅会では、途中の休みなく1時間近くぶっ続けで座る方式に変わり、坐禅終了後は白隠禅師の「坐禅和讃」を皆で一斉に唱えるスタイルに一変、ぐっと緊張感あふれる朝の一時となっていた。しびれきった足を引きずりながらの、「いつの間に?」との問いに、先輩諸氏からは、「すごいでしょう」という余裕笑いが返ってきた。しかし、1炷1時間の坐禅坐禅和讃唱和は、修行モードでの厳しさがあるものの、とても気持ちがよかった。しかし、まだ1回経験しただけだ、エラそうな物言いは慎んでおこう。
そして、今年最後の坐禅会から2日おいた29日は、朝9時頃に寺に出向き14時頃まで、ふだん足を踏み入れることのない開山堂そばのお庭の掃除や本堂の雑巾がけなどを行った。大掃除には昨年末も参加したが、庭の落ち葉を掃き集め、お堂の扉などに無心に雑巾がけをしていると、すっきりした気持ちになるから不思議だ。掃き清めているのは、お寺なのか、はたまた我が煩悩か。
考えることは皆同じ。掃除の途中の昼食会で、そんなことがひとしきり話題となった。掃除をご一緒した山本さん・野田さんのオバ様コンビをお相手に、「庭の落ち葉は、お二人の煩悩の数ほどに多くてタイヘンでしたよねぇ」と突っ込むと、はたで聞いておられた上方から、「塵といえば」ということで有名なある禅語を紹介していただいた。 「本来無一物」。五祖引忍が後継者を決める時に六祖慧能が発した言葉である。そのくだりというのは、上方の話とネット検索の結果を合成すると、概ね以下のような内容である。


達磨大師を初代とする中国禅宗の第六代目(六祖)を決めるに当たり、当時、最上座にあった神秀が「我々の身は悟りの花が咲く菩提樹のように素晴らしいもの。心も研ぎ澄まされた鏡のようなもの。いつも努力して煩悩の塵を拭き去るようにしなければならない」と説き、さすがと絶賛された。しかし、それは究極ではないと思った慧能は、身分も最下位で新参者であったけれども、断固、「我々の身は菩提樹ではなく心も鏡のようなものではない。本来 何も持ってはいないのだから煩悩の塵などはふりかかりようがない」と正反対の事を言い放ったという。五祖引忍はそれを絶賛し慧能を六祖に決めた。


「そうか」と庭の塵一つにも仏教の深い教えが隠されていることを知らされることとなった。「坐禅中も次々に煩悩がめぐってしまって・・・」「煩悩を払おう思うことじたいが煩悩、そう簡単にいきませんよ」。オニギリ、汁、芋の天ぷら、川茸の酢の物などを6〜7人で囲む和やかな食卓は、いつのまにか厳しい禅の世界の風に、ほんの少しだけ包み込まれていた。そして、来年は気合いを入れて参禅したいものだと、緊張感と期待感を募らせたことだった。