食べ・飲み・叩き・拝む

あけましておめでとうございます。
それにしても猛烈に寒いなかの年明けとなった。おまけに芥屋は玄界灘の寒風をくらい、一時は横殴りの雪も降ってきたりと大変だった。年末年始は息子(創作)と娘(はるか)も戻り、ひさしぶりに「一家4人プラス2匹」の団欒を楽しんでいる。そこで、この年末年始をちょっと振り返ると、

30日は志摩町が誇る鉄の大工(iron worker)「松ちゃん」んちの鉄工所(松園製作所)で開かれた年末大鍋パーティに参加した。創作と一緒である。「芫」(清川の豚料理)の岡やん・愛ちゃんをはじめ、知り合いが何人かいたもののの、ほとんどが初対面。鉄の大工仕事に必要な工具やクレーンが整頓された鉄工所に、松っちゃん手製の巨大な鉄鍋や、炭火バーベキュー台がどんと置かれ、酒を片手に、総勢50名近くであつあつ鍋料理、焼きカキをむさぼり食っていった。中々ワイルドで壮観だ。何せ寒いものだから、食べそして飲まないと身がもたないのだった。

大阪は河内からはるばる来た、愛ちゃんの友人3人娘の特製お好み焼きもうまかった。そして、写真の面白さに目覚めてしまったという「カメラ小娘」トリオが、デジタル一眼レフカメラを首から下げてパーティ会場を動き回り、写真を撮りまくっていた。

晦日は、承天寺で除夜の鐘をつかせていただけるというので、22時すぎに家を出て、一家4人で寺へ。そこで、まずは年越しそばをいただき、23:45頃から鐘楼に集まり、一人一人交替で鐘をついていった。除夜の鐘つきは初めての経験であったが、鐘つき棒を思い切り引いて、鐘にどーんとぶつける時の感触と、グウォーンという大音響を夜空に放っていく気持ちよさといったら格別であった。上方はというと、最初のほうの数回をついただけで、「あとは皆さんでどうぞ」とあっさり楼を降りていかれた。禅寺にとって、除夜の鐘はそれほどの意味はないのかも知れない。

それよりも、承天寺の鐘楼ならびに鐘が、かつて志摩町の桜井神社から移設されたもので、わが町・志摩と承天寺の間に縁があることを知り驚いた。ちなみに鐘には「檀信歸崇 諸縁吉利」「山門鎮静 火盗潜消」という文字が記されていた。


年が明けて、2日。一転して穏やかな天候となった。正月くらいお茶をたてましょう、というカミさんの提案で、やわらかい日差しをうけつつ、ファミリー茶会を行った。母娘は着物である。手前味噌だけれど、結構なお点前でした(^_^)。

そして、お茶をのんだ後は、母娘をつれて桜井神社に初詣。本殿周辺は参詣者で一杯であったが、少し上ったところになる大神宮(社殿)は、伊勢の内宮と外宮を模して合祀したものだそうで、うっそうとした杜に囲まれた“パワースポット”の気が大いに漂っていた。それから、除夜の鐘のことが気になり、掲示などに承天寺鐘楼のことがないか探してみたが、関連する記載はなにも見あたらなかった。
 本殿前の参詣者
 物静かな大神宮
 ことほど左様に年末年始は、寺で拝み、神社でも拝んだ。心中、何を思い拝んだか。それは秘密です(笑)。