見えないものをつかめ ─ イチロー賛

昨夜のことだ。たまたまひねったチャンネルの画面にイチローがいた。NHKプロフェッショナル「仕事の流儀」が始まっていたのだ。そして気がつけば、1時間あまり、食い入るように映像を追い、必死にイチローの言葉を追いかけていた。
イチローにとって初の長期密着取材という。そこには、34歳メジャー・リーガーの、プレッシャーと必死に戦う孤高の姿があって、「うーん、すげぇ〜」と何度もうなってしまった。彼のまわりには、まるで修行僧のような静かな深い思考が漂っていた。
2007年秋、彼はマスコミがつくりだした「過去のイチロー」との決別を決め、フォームはもちろんのこと、考え方そのものの転換を模索しはじめたのだという。イチローは、そのイメージとは反対に、プレッシャーを受けると脈があがり、呼吸が苦しくなって、吐き気がすることすらあるという。けれども、プレッシャーからどうせ逃げることができないなら、正面から向き合うことを決めたのだという。「必要な技術については自信がある」と語るのはさすがイチローである。
フォームについての話も面白かった。野球はまったくシロウトである奥さんの、「もう少し下がったら景色がかわるかも」という何気ない一言が、フォームを変えるきっかけになったという。ほんのちょっとしたことで、「景色」というか「世界」の見えが変わる ─ 。記録そのものではなく、世界の見えを主体的に変えていくことに、勝負師として新たな境地を求めているイチロー
そして、モギケンの「大リーガーとして前人未踏の記録を残しているのに、その先に何を目指しているのですか」との問いに対しては、「自分の達成感に向けてです」ときっぱりと言い切るカッコよさ。それは、「見えないものをつかみにいく」ことであるし、「必死に求めていかないとつかめない何か」であるという。いまだ誰も表現しえていない、「見えないもの」「語れないもの」に向けて突き進んでいく、まさに行者の姿がそこにはあった。
そして、「7年間、お昼は毎日、奥さん手作りのカレーライス」というのもまた意味ありげだった。規則正しい生活をおくるイチローにとって、「毎日カレー」は規則正しさの象徴なのだろう。それは、「球場に入り、決まったとトレーニングメニューをこなしているうちに、無意識のうちにプロ・プレイヤーとしてのスイッチが入る」という発言とも符号しているように思った。
今年の「イチロー」は、マスコミや世間ではなく、「鈴木一朗」がつくる「別物のイチロー」となるにちがいない。向こうのファンがどれほど理解してくれるかは別にして、こんなクールな人間を世界の檜舞台に送り出すことのできる日本はまだまだ捨てたもんじゃない。
最後のほうで、住吉美紀さんの「イチローさんにとって、なぜ野球だったんですか」との問いに対し、イチローは「子どもの頃、最初に出会ったカッコいい人間が野球をやる大人だったからです」と答えた。その言葉には、偶有的な出会いにみちた人生の機微がたっぷりと含まれていた。生きるということは、誰にもコントロールできない、無限の空白があるから面白いのだ。
気合いの入った正月番組を届けてくれるNHKに感謝である。余談ながら、イチローの後は、NHK教育で「知るを楽しむ・こだわり人物伝スペシャル」を見た。チェ・ゲバラ開高健夏目漱石マイルス・デイビスの足跡をたどり、“格好いい男”の条件を探るというものであったが、泉谷しげる&姜在中という珍しい顔合わせが効を奏して、これも最高だった。