プロの教師・山本俊輔先生にお会いする

太宰府に出かけ、山本俊輔先生とお会いした。1年近く前に、「“プロの6年”をめざす小学生たちに教えられる」ということで紹介した、阿志岐小学校6年2組(当時)の担任の先生である。僕にとって、6年2組との出会いは、子どもや人間の学びについて考え直すきっかけとなった、大きなできごとであった。また、ブログで6年2組のことを紹介することから始まった縁と交流の広がりは、僕の大きな自慢である。そのいきさつと詳細については、昨年の1月27日の書き込みと、「コメント」欄での山本先生、生徒であった日下部好芽さんとのやりとりをみていただきたい。
http://d.hatena.ne.jp/rakukaidou/20070127/p1#c

じつは、山本先生と面と向かってお話するのは今回が初めてだ。にもかかわらず、是非とも「6年2組」の実践を「学びの感性と生きる力」という視点から学生たちにお話いただきたいということで、1月18日(金)のリベラルアーツ講座Vol.7のゲスト講師を既にお願いし、快諾をいただいていた。この押しの強さというか自信には、われながら呆れるほどだ(笑)。それはさておき、今日は山本先生とともに太宰府天満宮に参詣し、九州国立博物館で開催していた「京都五山 禅の文化」展を鑑賞したあと、2時間あまりいろんなお話をすることができた。
山本先生は、阿志岐小学校の卒業アルバムをもってこられていた。そこには、なんと、僕がこのブログで書いた「“プロの6年”をめざす小学生たちに教えられる」という文章と、子どもたちへ贈ることばが山本先生とことばと同じページに載っていた。それも本来は担任の先生の頁なのに、その3分の2以上が「1.27公開授業を参観された芥屋らくかい堂こと坂口光一」ということで掲載していただいているのだ。それを見せていただいた時は正直言って、感激と光栄のあまり、その頁にまともに目をやることができなかった。公開授業を参観して深い感銘を受け、そのことを書いたブログがある子によって検索で偶然発見され、山本先生につながって、あげくのはては贈ることばを卒業アルバムにまで入れていただく、というまさに奇跡としかいいようがない素敵な経験をさせていただいた。いや過去形ではなくて、好芽(このめ)さんとのインターネット文通はいまも続いているのだ。
先生とは、1月18日の講座の事前相談ということでお時間をいただいたが、6年2組のこと、人間観、教育観、教師像、人生観・・・といろんな話題をお互い出し合いながら、とても楽しい時間を過ごさせていただいた。
その誠実で実直なお人柄は一目瞭然。それだけに、「6年2組は、これまでの教師生活のなかで最高の仕事となりました」「6年2組では教師としてやれることは全てやりました」と、嬉しそうにきっぱりとおっしゃる様に「プロの先生のここにあり!」と深い感銘をうけた。子どもから送られてきた年賀状も2枚見せていただいた。そこには、6年2組での成功体験と、中学での躍動感のない日々とのギャップが悩みとして綴られていた。
6年2組は、5年生の時に生徒と担任との関係がこじれたこともあって、山本先生が担当されることになったとのこと。そうしたクラスを立て直すにあたっての先生の信念、ポリシーは「生徒とはつかずはなれず」「生徒をけっして裏切らない」「授業づくりは学級づくり」「教師を含め信頼関係で結ばれた学級がつくれないと学び合いは生まれない」「一回でも同じ授業はやらない」「ライブな授業をこころがける」・・・と明快で力強い。その言葉のなかの授業を事業に、学級を組織に、教師を経営者におきかえれば、学校現場のみならず社会のあらゆる現場で共有すべき普遍的な示唆がそこにはある。
そして、学級づくりに効果的だったのは、「朝10分間の国語教科書の全員・毎日音読」「学級日誌」の2つだったそうだ。音読は、教科書のなかの好きなくだりを読む。そして、山本先生が「お母さんの具合どう?」と一言声をかける。このたった10分の積み重ねが、子どもたちの自信と、相互の信頼関係づくりに貢献したという。また、班日誌は、子どもたちどうしのコミュニケーションや相互触発の土壌をづくり、他者に耳を傾けることで自分を見つめ直すというクラスの文化醸成に役立ったのだそうだ。子どもたちが他の子どものことをあまり知らない、という現状をかえるのはほんのちょっとした工夫だという。
そして何より、「子どもたちと多様なものの考え方を共有していくなかで、教師も学び、どんどん変わっていくことができる」「子どもたちとの出会いは縁です。その子どもたちと一緒に一回限りの仕事をしていくだけです」と、学びの現場の魅力を語られる言葉に僕の心は共振した。生徒と先生が「信」の糸でつながり、一緒に仕事をしていく醍醐味を語れる先生がどれだけいるだろうか。もちろん、自戒をこめての問いだ。
山本先生の周りには、学校に押し寄せている「管理」とは遠い世界が、まだ息づいている。教育における「原初的な光景」がそこにあるといったらいいだろうか。かけがえのない原体験をつかんだ6年2組の卒業生たちが、これからどう成長し、社会とどんな関わり合いを生み出していくだろうか、大いに楽しみだ。可能なら(もちろん、ぼけずに生きていればの話だが )、第2の奇跡で、10年後か20年後のクラス会にひっそりと参加させていただくことができればなぁ、と思いながら太宰府を後にした。