iPhoneがやってきた

いや、正確には、「iPhone を手にいれ、使えるようになるために、金曜・土曜とかなりの時間をつかい、はまりこんでしまった」。
まず、金曜日の8時から博多駅前のヨドバシカメラに並び、整理券(整列の順番を崩さないために発行するとのこと)をもらい、それと交換に、8時半すぎに念願の商品引換券を手に入れることができた。東京では千人を超す行列ができたというが、博多では100人ちょっとといったところか。そして並んだ全員が商品引換券を手に入れることができたから、めでたしめでたしである。ものを買うのに、最後に並んだのはいつかと思い出そうとするけど、思い出せない。それほどまでに久しぶりなのだ。たぶん、ほぼ半世紀ぶり(笑)、切手発売日に並んで以来だろう。もう、こんなことは死ぬまでないと思う。
そして、欲しかった色と仕様は明日の渡しということとで、ご対面は一日先となった。

翌日。休みの日であったが、10時からの手渡しに向け、いそいそと自宅を出て、サイドヨドバシカメラへ。もう行列こそはなかったが、説明コーナーで4〜5人が機種変更や新規契約の説明をうけていた。手続きそのものはすんなりといった。しかし、肝心のiPhone を手に入れるまで、待ったこと待ったこと。「センターでの登録作業が立て込んでいますので・・・」とうことで、かれこれ3時間近く辛抱づよく待つこととなった。「もうすぐ、憧れの iPhone に会えるから我慢、我慢!」と念じながら。
そして、やっとのことで手に入れた iPhone 。小脇にかかえ、電車のなかでパッケージを大事にあけ、my iPhone を大事にさわりながら、一路自宅へ。その後は、初期設定、パソコンとの同調、ためし運転と、まる一日はまりこんでしまったというわけだ。
印象はというと、特段のハイスペックというものは何一つないが(むしろ、日本製携帯に慣れた身からすると“ない”機能が多い)、iPod、パソコン、インターネット、携帯の機能がじつにバランスよくまとめあげられていて、久々に「これぞマック!」という感動を覚えてしまった。ハードとしての作り込みはもちろんのこと、インターフェースが綺麗だし、親指・ひとさし指を使って感覚的に操作していくタッチ感覚が楽しい。いままでの端末にないフィーリング。アップルが大切にする「Think Different!」の遺伝子が存分に発揮されていると思う。ワンセグだのお財布機能が掲載されていまいが、それはもはやどうでもいいこと。「人間」が機械や技術に接するときの、心のツボを押さえた考案が随所に散りばめられていて、Different World に誘ってくれる。
そして、改めて思ったのは、「パッケージング」に対する徹底したこだわり。 単なる箱や包みの域を超え、iPhone 手にした者が、「さてさて」とどきどきしながらおもむろに開けてゆき、やっとの思いで手に入れた喜びをかみしめることのできる瞬間を見事に演出しているのだ。なぜか、「これは、箱もとっておかないとまずいぞ」という気にさせる。今では使われなくなったが、「Welcome Macintosh!」のホスピタリティは、「日本企業よ大いに学ぶべし!」である。思えば、「包み込み、そして開く」という行為のトータル・デザインはは日本のおはこ(笑)であったはず。こんなところまでも、海外の企業に先を超されてしまっている現実がある。でもまぁ、お相手は「世界のアップル・僕らの iPhone」である。偏狭なナショナリズムはなしで、当分は iPhone と楽しく過ごすことにしよう。