志摩町民大学の学生となる

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平成18年度 志摩町民大学「歴史散歩志摩専科」がスタートするということで、初講義を聴講した。本日の講義は、「中国史書に見る九州と志摩地域 ─ 漢書より魏志倭人伝まで」と題して、講師は志摩町諸吉にお住まいで、志摩町編集委員会委員長でもある丸山雍成先生(九州大学名誉教授)である。
町民大学理事をつとめておられる高山香月さん(芥屋の海岸のゴミ掃除を一緒にやっている)のお誘いを受けての入学である。お誘いを受けた時は受講生が少ないということであったが、どうしてどうして大盛況。全57名の登録で、教室は満杯状態であった。今年の町民大学は4つのコースが設定されているが、半数以上が「歴史散歩志摩専科」だそうで、町の歴史についての人々の感心の高さがうかがえる。余談だけれど、同期生の多くはお年をめした方で、私がもっとも若い(笑)部類に入りそうであった。
漢書魏志倭人伝、日本書記といった歴史書において、志摩町や糸島のことが繰り返し記述され、中国・韓国との交易においてこの地が重要なポイントであったことが、史料上でも改めて確認できてた。近畿説と九州説かで議論がわかれる「邪馬台国」の位置についても、伊都国・志摩国との地理的関係をどう考えるかによって変わってくるとの指摘も面白かった(丸山先生は九州説で、新・志摩町史でその説をまとめられるとのこと)。
講義の後、ひさしぶりに志摩町の歴史資料館へ。そこで、平安時代、芥屋地区は「鶏永郷」と呼ばれていたというパネルを発見、ふふんと思った。「鶏永」がどのような経緯で「芥屋」となたのか、次回の講義で丸山先生に尋ねてみることにしよう。独断というか仮説だけれど、「芥(あくた=ごみ)」という字をあてた背景には、どうも差別意識がからんでいるような気がする。


http://www.town.shima.fukuoka.jp/topics/200604_4.html
http://www.itogura.com/news/itokoku_link_2004.htm