街や地域で再生すべき「中心」とは?

先日、 延岡市 に10数年ぶりに出張で出かけた。その時に、かつて賑わいをみせていた駅前を歩きながら、21世紀において「中心」あるいは「中心性」といったものをどう考えたものか、ハタと考え込んでしまった。
JRを降り立つと、一つの中心を成していた駅前は、シャッターが降りた店舗がまず目に入り、かつては宮崎経済の代名詞的存在であった宮崎交通のバスセンターも、現在、産業再生機構傘下で経営再建中ということもあって全く元気がない。昨年9月に襲った台風で施設全般が甚大な被害を受け、延岡と高千穂を結ぶ第三セクター高千穂鉄道」も経営ができなくなって閉鎖され、「これまで17年間ご愛顧いただき誠にありがとうございました。」という言葉とともに静まり返っている。
しかし、何より驚いたのは、こうした空白を埋めるかたちで進出しているサラ金の賑わいである。駅からすぐの交差点の4つ角はすべてサラ金の看板と店舗で占められている。どこの地方都市でもありそうな風景であるが、これまでは表に出てきにくい匿名的存在であったサラ金が、新しい駅前性というか中心性を拡張しはじめているのだ。
街の中心が空洞化していった背景には、モータリゼーションや郊外型大型店舗の出店とそれにともなうライフスタイルの変化、産業構造変化にともなう中心都市(宮崎市)への経済機能集中、そして何より人口減と高齢化があるということは誰でも指摘できることだ。しかし、このまま「中心と顔のない街」が広がっていった先にどんな地域社会が現れるのか、そこがまったく見通せないまま、地方都市の現実は進行している。
このところ相次いで起きている嫌な事件はいずれも大都市ではなく、地方都市というか郊外圏を舞台としている。のどかと思っていた地方の人々の精神が深く病み、空洞化していることを内部告発しているかのようだ。
まちづくり三法が改正され、延べ床面積が1万平方メートルを超える大型集客施設(遊興施設も含む)の郊外立地が原則禁止され、市街地中心部の商業地域などに限定されることとなった。1990年代以降続いてきた大型店出店の規制緩和の流れが、規制強化に逆転した格好である。しかし、郊外開発の規制で、人・物・金・情報の流れの向きを中心部に変えさえすれば、問題の本質が解決されるのだろうか。パワーゲームのルールが変わり、物理的・機能的にコンパクトシティをつくっていけば本当に持続可能なまちづくりが生まれるのだろうか。
こうした問いの答えは、「中心性」や「共同性」をめぐっていま人々が抱き、悩み、そして模索し始めている心の“ひだ”や“つぼ”の部分をすくい上げていくことでしか見えてこないように思う。空洞化・郊外化して更地に近い状態となった舞台に、はたしてどんな関係性や気づき、感動が芽生えていくだろうか ─ 。そこには、上からの整然とした「計画」というより、生命的なエネルギーが充填された「創発」という深層からのプロセスがなくてはならないと思う。
 今日の事態や事件を予見するかのように、2年前、三浦展氏(「下流社会」論で一躍有名になった人である)は、『 ファスト風土 化する日本 ─ 郊外化とその病理』で、 次のように書いていた。「理解できないことは 東京でなく地方で起こる。皮肉なことに、古くから都市化している東京は、いま日本中でもっとも安定した地域であり、対して、ここ10年か20年ほどのあいだに急激に都市化し、郊外化した地方は、いま最も不安定な地域なのである」「犯罪の多い危険な都市と、のどかで平和な地方。それはもう幻想だ。ファスト風土化した地方こそがいま最も危ない」。
三浦氏が指摘するように、郊外型の大型ショッピングセンター、ファミレス、コンビニ、パチンコ等が消費を吸引する「ファスト風土」的な社会は、たしかに便利だけれど、中心性を欠いた巨大な闇の部分を宿しているのかも知れない。確証はないが、九州はファスト風土化率が全国的にも高い地域ではないか。私の住む志摩町前原市二丈町、福岡西区も、ジャスコの新規出店をはじめ、ファスト風土化が続いているエリアである。延岡駅で1時間半ほど、特急(笑)の到着をまちながら、まちの誇りとしての「中心性」やコダワリとしての「共同性」について考えたことだった。