伊都志摩のインターネット百科事典に向けて

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きょうは強い雨の中、志摩町の桜井神社に糸島(伊都国・志摩国)の地域おこしに関心を寄せる有志が集まった。当地の風土・歴史・生活文化を発掘し、地域理解を深め共有していくために、インターネット百科事典をつくろうという話が持ち上がり、そのためのコンテンツ(映像)作成のためである。
伊都志摩インターネット百科事典は、様々なテーマを取り上げていこうと意気軒高であるが、まずは「社寺仏閣の絵馬」をビデオ映像化し、あわせて宮司さん・住職さん・集落の長老に、絵馬にことや地区の歴史についてインタビューしようということになり、糸島でももっとも由緒のある神社の一つである「桜井神社」を訪れたという次第だ。参加したのは、「地域づくりの屋台村」を目指して頑張る(株)よかネットの糸乗さん、本田君、志摩町住民課の久保さん、そして私の4名である。共通項としては、この地区に住み、住民として地域おこしに何らかの形で参加しているという点である。こういうと至極立派に聞こえるが、酒の勢いで話が盛り上がり、糸乗さんの情熱にほだされ、百科事典プロジェクトが動き出したというのが正確だ。
何はともあれ、ビデオカメラを持参し、インタビュー映像をインターネットにアップしていきますという触れ込みだと、大概の人に応じてもらえるのではという計算をした上での活動開始である。「地域づくりは、良い加減で、楽しみながらやりゃえんや」という糸乗さんの口車にまんまんと乗せられた(笑)というのがコトの発端だ。
まぁそれはいいとして、1時間ほどの外山宮司の説明・案内で、この地区の絵馬文化の面白さにすっかりハマってしまった。絵馬はもともと雨乞い等の公的な祈願からスタートしたものが、奈良時代以降、商売繁盛や武運長久の願いをこめたものとして一般化し、絵師につくらせたものを神社や寺院に奉納していったのだそうだ。それが世相を反映してしだいに大型化し芸術性を追求するようになったという。それがこの糸島の財産として、各所の神社やお寺に残っているというわけだ。
こうしたことを宮司さんに教わりながら、桜井神社の神殿に掛かっている“現役”の絵馬をみると、当時のこの地区の暮らしぶりや、生活文化がリアルに伝わってくるから不思議である。なかには、日本軍がシンガポール上陸に成功したのを祝った戦勝祈願絵馬(下段右側の写真)もある。宮司さんは、GHQの没収を免れ残ったのが不思議な作品だという。桜井神社の絵馬は、作品としてもなかなかスゴイものがある。
けれども最近では、絵馬の奉納はほとんどなくなり、写真(伊勢参拝記念)であるとか揮毫(初老記念!)あるとかに置き換えられつつあり、人々の願いが集まる神殿やお堂の雰囲気も大きく変わりつつあるとのことであった。
絵馬が作成された背景に思いを馳せながら映像にしていくという作業は、地域おこしの契機としてなかなか面白そうだとの実感をもった。人々の記憶を記録に残し、また記録をつうじて、それを地域の新しい記憶として再生していくというプロセスは、IT時代の文化学習として結構イケるかも知れないと思ったことだ。

*よかネット→ http://www.yokanet.com

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