盲ろう者・福島智さんとの出会い

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この二週間ほど、芥屋らくかい堂は休館が続いた。11月2日に、現在関係している仕事の大きな山場を控え、気分的に遠ざかっていたという次第だ。しかし、日々の暮らしにはもちろん、いろんな出会いや気づきがあって、書き留めておきたいことはたまる一方である。けれども、一日の仕事が終わるとついつい焼酎に手が伸び、キーボードが縁遠くなる。焼酎は日課にできるけど、日記を日課にするのは難しいという、情けない話である(笑)。
休館中の出来事で、ぜひとも書き留めておきたいことがある。22日から24日にかけ口頭発表も兼ねて参加した、「国際ユニヴァーサルデザイン会議2006 in 京都」のことである。会議の冒頭での、福島智さん(東京大学先端科学技術研究センター助教授)の「光 音 ことば」と題する基調講演のことが忘れられない。
福島さんは、ヘレン・ケラーと同じ盲ろう者として、世界盲ろう者連盟アジア地域代表等としても活動されている。1962年生まれの福島さんは、生後5ケ月で眼病を患い、3歳で右目を、9歳で左目を失明、さらに18歳の時に特発性難聴で聴力をも失なわれた。最初に光を、次に音をということで、盲ろう者になった時の衝撃について、福島さんは「宇宙空間に一人放り出されたような、何とも言い表しようのない不安でした」と語られた。そして、何が辛かったかというと、美しい風景が見えない、綺麗なメロディが聞こえないことよりも、言葉が消えてしまったことで、他者とのコミュニケーションを奪われてしまったことであるという。
福島さんを絶望の淵から救ったのは、お母様が考案された「指点字」である。講演のなかで、奥様との指点字を使った会話(指会話)を実演していただいたが、壇上での「指先で紡ぐコミュニケーション」の模様はとても美しかった。
ユニバーサルデザイン(UD)についての指摘も示唆に富むものであった。UDということで、誰でもが使いやすい製品への取組みは、野球で言えばグランド整備(条件整備)にしか過ぎない。身体にハンディを持つ者にとって、仕事(雇用政策)や経済力(社会保障)といったものが制度として整備され、生きがいが実感できる社会とならないと、ただ単に企業がUD製品を市場に提供していくということだけでは、思想的に薄っぺらいものに終わるのではという指摘は、ややものすれば「もの」のデザインに終始しがちなUD論議に対する指摘として正鵠を得ていた。
さらに、これからはUDのもつ計画的・最大公約数的視点と、バリアフリーのもつ個別具体・課題解決的な視点の相互補完で、「ユニバーサル・バリアフリー・デザイン」を追求していくべきであるという問題提起も、ナルホドと思った。福島さんは、社会の隅々に存在する課題に協力・共同して当たる、デザインの力を社会のあらゆる領域において展開していく意義を「ユニバーサル」という言葉で語られた。理念・理想の論議に終わりがちなUDにとって、頭の痛い指摘である。
福島さんの講演を皮切りとして、今回の会議には3日間にわたって参加したが、いずれの会場も、同時通訳、講演・報告の同時・英日モニター表記、手話のサービスが配置され、PowerPointによるプレゼンをサポートするPCオペレーターも2〜3名がついていた。参加者の文化、属性、身体条件を超えたコミュニケーションを実現するために、これほどのコストをかけ、配慮がなされた会議は初めての経験であった。

「人と人との語り合い、コミュニケーションが生きるための原動力です」という福島智さんの言葉の意味の深みにどれだけ到達できているか、幸いに「光 音 ことば」を贈与されている者として自問は続いている。

福島智さん→http://www.arsvi.com/0w/fksmsts.htm