立派な仏壇・神棚のある家

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文化祭の後片づけの後、近所の禅寺・健治寺の和尚さんのもとへ。檀家さんのお宅で、昔ながらの仏壇・仏間があるところをご紹介いただけないかという相談にのってもらうためである。じつは、ユーザーサイエンス機構に関係している大学の同僚や家づくりに関わる方々などと一緒に、近く、「子育てを応援する家づくり」をテーマとする本を刊行することになっていて、ぼくは『心の拠り代をもつ「家」づくり』という短文を執筆した。それで、この本のプロデュースを担当されているKさんから、文章にマッチする仏壇の写真があると有難いのですが、と依頼されたというわけである。
(その原稿というのは、下記のようなものである。本のことは刊行の時点で改めて紹介・宣伝したい)
で、和尚さん、「うーん」としばらく思案のあげく、我が家からもすぐのある一軒の檀家さんに電話をしていただき、幸い家人がおられるということで、そのままクルマで連れていっていだいた。そして、お宅にあがり撮らせていただいたのがこの写真である。築69年になるという、懐かしいつくりの日本家屋で、玄関を入ってすぐの部屋に立派な神棚があり、その奥が手入れの行き届いた仏間である。左右の鴨居にはご先祖の写真が7枚飾られている。うち、お1人は飛行機のりの出で立ち、聞くと特攻隊員として戦死された方であるという。出撃に際しては、芥屋の上空を2回旋して戦地に赴かれたという話をお伺いした。
こうした空間に身を置くと、他人といえど、粛然とした気持ちになるものだ。近代的な家が失ってしまった「何か」がそこには息づいていた。

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心の拠り代をもつ「家」づくり ─ 「カミの棚」をしつらえる

子どもの頃、昔風のつくりをした祖父母の家に行き、夏休みを過ごすのが楽しみであった。そこにはふだんの都市化された生活にはないまったくの別世界があって、たくさんの驚きがつまっていた。子どもにとって最高のご褒美である夏休みはいつも、仏壇の前にすわり、親とともに手を合わせることから始まった。学校に上がってからは、通信簿や卒業証書を持参して仏壇に供え、ご先祖様に報告するという儀式が加わっていった。また、報告をする仏壇の上の壁には、先祖の写真や肖像画が飾られていて、じっと見据えられているような気になったものだ。
家を守る祖父の日課は、炊き上がったご飯を、まずは仏壇へ供えることから始まる。商売をしていたこともあってか、家には商売繁盛祈願の神棚もあった。そこで神棚にもお供えし、手を合わせる。日々この繰り返しである。子どもながらに何やら神妙な気分となったものだ。穏やかな祖父の後ろ姿は今も記憶としてしっかり残っている。お盆には親戚一同が集まり、仏壇に果物や花を飾って精霊をお迎えする。そして15日には「また来年いらして下さい」ということで、お墓までお送りする。これら一連の体験は今から思えば、生きる指針を与える無言の宗教教育であり、しつけでもあったわけだ。
昔の家や生活には、先祖や自分をこえた存在に思いをはせる仕掛けや空間、宗教的行事がしっかり組み込まれ、家族のありように心棒を通していた。けれども、近代化され都市化された現代の家からは、家族が一つになる拠り所や、心の拠り代となるような仕掛(ハートウェア)がほとんど消えうせている。残ったのは、個室やLDKといった機能や要素の集まりである。ゆきすぎた個人主義によって、家族の構成員までもが個別化しアトム化してしまった。
ところで、「家」というのは不思議な字である。「宀」は建物の屋根の形であるが、その中の「豕」は豚のことである。これが甲骨文字などの古い字形では、「豕」のかわりに「殺された犬」が記されていたという。「家」というのは、本来、先祖を祭る神聖な建物である廟(みたまや)のことであり、そのような建物を建てるときに、まず犠牲(いけにえ)を埋めて、土地の神が怒らないようにしたのが字の由来だそうだ。もともと先祖を祭る廟であったのが、これを中心として家族が住むようになり、人の住む「家」の意味となったという(白川静『常用字解』)。
「家」のそもそもの始まりが、先祖とのつながりを維持する心の依り代であり、精神世界に中心性をもたらす象徴的な空間であったということに、我々はもっと思いをめぐらしてよい。「家」は子どもたちにとって、大人たちの振る舞いや仕草をみながら伝統的な価値観や宗教観を自然と身につけ、文化的・社会的な存在となっていくために不可欠な教育装置でもあったのだ。「子育てを応援する家」を考えるにあたっては、戦後、日本の「家」が家族の構成員を収容(house)する「住宅」に変容、ひたすら効率性を追求するなかで精神性や宗教性を放逐していくにつれ、薄っぺらい存在となってなってしまった現実を振り返ることから始める必要がありそうだ。「いかに生きるか」を教える力を失い、精神性が空洞化した「住宅」のありようと、現代の子どもたちが直面している心の問題はどこかで関係しているのではないだろうか。
しかし、希望を失うことはない。幸いなことに日本人の心の根っこの部分には、先祖をしのぶ、自分をこえた存在に「手を合わせる」、生きとし生けるものの連鎖や循環に畏敬の念を抱くといった心性がまだしっかりと息づいている。草木山川万物に八百万の神々を感じとる宗教性は、柳田国男宮沢賢治の作品に繰り返し現れるように、縄文時代以来われわれが引き継いできた日本人ならではのメンタリティであろう。それは、仏教とかキリスト教というかたちで制度化された宗教の教義や儀式の枠におさまらない、基層の文化であり、文化の遺伝子でもある。
八木研という企業がある。日本の基層文化や仏教伝来前からの土着の霊魂観・死生観を踏まえ、心の領域において新しいライフスタイルの提案をし続ける稀代のイノベーターである。「先祖供養」「手元供養」といったコンセプトで、仏壇・仏具の世界に新しい発想をもちこんだ八木研という企業に出会ったとき、ぼくは「家と仏壇」あるいは「家と宗教」について感じていた個人的な“割り切れなさ”が溶けた気がしたものだ。本尊や教祖を祀るというより、まずは亡くなった人間や先祖を祀るという気持ちを大切にする。同社の商品は一応「現代仏壇」として販売されているが、キリスト教徒も仏壇を買いに来て、故人の写真とともにマリア様や十字架を置いているお客もあるという。そのようなこともあって、八木研では最近、仏壇ではなく先祖供養檀とよんでいるという。
愛する人の死や先祖への供養という行為を通して、生きていることに「ありがとうございます」と感謝の気持ちを抱くのは自然なことであるし、人として普遍的な感情の発露であろう。そうした気持ちに自由な表現を与え、カタチにしていくことは、人生を充実させていく上でとても大切なことだと思う。そのことが教義や儀式にとらわれない新しい宗教意識を「家」に引き込むことにつながり、子どもの心の拠り所としても重要な意味をもってくるに違いない。神様であれ仏様であれアマテラスであれイエスであれ、八百万の神々とのおつきあいを大切にする、融通無碍な日本人のことである。祀るのは先祖でも世話になった恩師でもいい、一日一度は手を合わせるスポットを「カミの棚」として家の一隅にお洒落にしつらえていったらどうであろう。子どもたちは大人たちの後ろ姿をしっかり見ていることを忘れまい。
近代化社会のなかで孤立化し、やせ細ってしまった「家」に、先祖や故人、自分をこえた存在(カミ)との「つながり」を呼び込み、今は亡き人のことをしのぶ。大人たちにとっても、そうした行為と空間が、いま自分が生きていることの意味をつかみとっていく”よすが”となろう。
少子化・高齢化、夫婦別姓等の進展にともない、家族の形態や意識が変容し、仏壇や墓の継承問題、寺との関係など、宗教にまつわる様々な問題が家族・親族のありかたを含めた「家」の問題としてこれから問われていくにちがいない。そうしたなかで、0(ゼロ)か1(ワン)かの二者択一ではなく、八百万の神々との多様なコミュニケーションを面白がり楽しむオープンな宗教観と、それを体現した宗教的な感性のあふれる「家」を、次世代の子どもたちのために、そして子どもたちとともにつくりだしていきたいものだ。