響きあうことば

,,

ひさびさの投稿である。というのも、年末でただでさえ気ぜわしいのに、リベラルアーツ講座「感性・こころ・倫理」、実践プログラム「KIZUKI ─創造への扉を開くために 」という2つの講座をほぼ同時期に並行して開催中だからだ。
リベラルアーツ講座のほうは、ファシリテーター(そそののかし役)に徹するかたちで、映画「地球交響曲ガイアシンフォニー)」に始まり、「つながりを聴く 場所を聴く」(藤枝守先生)、「アートの哲学 デザインの感性」( 古賀徹先生)、「感性を心理学する」(三浦佳世先生)、「迷いぬく倫理学(江口厚仁)というテーマで、レクチャーとディスカッションをつないできた。自分で言うのもなんだが、「よく生きるための自由技芸(リベラルアーツ)の探求」に向けた質の高い講義と真剣な議論が繰り広げられ、毎度、2時間半があっという間に過ぎてしまう。快くレクチャーを引き受けて下さった先生がた、そしていろんな分野、背景をもって参加されている受講生の皆さんに感謝するしかない。
これまでの、知識・専門重視で、ワタシ教えるひと・アナタ教えられるひと、という「冷たい教室」のありように限界を限界を感じていたこともあって、一方的に対しては双方向的、閉鎖的に対しては開放的、という方針で、それにふさわしい空間もあえて学外(アクロス福岡 円形ホール)に求めていった。大学院生向けの正規の(単位を出す)講義ということもあって、学外向けに特段のPRをやったわけではないが、ホームページやポスターをみた、あるいはボクの「こんなのやってんですけど」という誘いにのられた“モグリ学生”のかたがたも毎回複数参加され、オープンな知と学びの「場」の創出に大いに貢献していただいている。社会人大学院生の皆さんも然りだ。
それにしても、多様性に向けて開かれた場の力というのはとても不思議だ。それぞれ専門性の高いフィールで活動をされている講師の方々から発せられることばが、それがたとえふだん使い慣れないものであっても、互いに響き合い、重なり合い、つながっていく。人間そして社会の本質・普遍性を探求し、それと向き合う「学問の快楽」にふれることのできる確かな瞬間がそこにある。しかも、そのプロセスが一人ひとりの思考のなかで展開するのみならず、場の空気や記憶として共有されていくのが実感できる。
その勢いをかって、これまで3回行った、講義終了後の懇親会(講師の先生を囲む会)には毎回、10数名の参加者が集まり、酒を交わしながらの丁々発止を繰り広げている。夕方5時にスタート、後片づけをやると8時頃になるという、こんかいの時間と場所の設定はまるで宴会の前座のために仕組んだと言われてもしかがないが、実際にその狙いがピタリとツボにはまり(笑)、大成功である。
講義は年があけて、あと4回あるが、シリーズ終了後に、トドメの「大討論会」を受講生主導で行うつもりだ。そんなこんなで、しばらくはこのブログにさく時間が少なくなり、そのぶんを講座関連で開設したもうひとつのブログのほうにさくことになりそうだ。

 *リベラルアーツ講座 交流サイト → http://usi.comlog.jp/