『ウェブ人間論』と『ウェブ進化論』

出張の往復で読んだ『ウェブ人間論』(梅田望夫平野啓一郎)が滅法面白かったので、家に戻り、梅田さんの前著『ウェブ進化論』を取り出して1年ぶりに再読した。これがまた、滅法面白かった。この1年間の当方の成長(笑)を反映してか、前回読んだ時よりも頷いてヒザをたたく個所が格段に増えている。これには、茂木健一郎さんの、長大な展望と深さをもった知こそが社会を変革していく強烈な意志を支える、その代表がグーグルであるという先日のリベラルアーツ講座での主張がかなり効いているようだ。いずれにせよ、この2冊は、これからの社会と産業のありようを考える上で必読であると痛感した。
梅田氏は『進化論』で、「こちら側」(携帯やICタグ等のフィジカルな世界)と「あちら側」(インターネット空間に浮かぶ巨大な情報発電所)という巧みな比喩を持ち出し、日本が相変わらず「こちら側」に執着しているのに対し、米国が「あちら側」に没頭し、来るべき本当の大変化を強力にリードしていると書き、その中心企業としてグーグルを取り上げていた。そして、『人間論』で、情報発電所のコアテクノロジーである検索エンジンで後発グループであったグーグルが勝った理由として、梅田氏は「思想の有無」をあげる。またそれと似た展開例として、iPod登場の背景で、アップル社においてスティーブ・ジョブズを中心に、延々と哲学的な議論を重ねて、売れる売れないという判断をしたというエピソードが紹介されている。未来を変えるような大きな商品は哲学的な議論のなかからしか生まれない。そういうことができる人や企業が出てくるのは、今のところアメリカ(シリコンバレーやシアトル等)しかないとうのが、梅田さんの主張だ。「知」のチカラが社会や産業の変化を主導していく時代にあって、これはとても重要な指摘だ。はたして、技術そのものというより、技術に対する感性と思想が問われるということがわかっている日本企業がどれくらい存在するだろうか。
また、梅田氏との対話をとおし、平野氏はウェブ情報空間が飛躍的に進化するなかで、「リンクされた脳」という理解が浮上し、「輪郭の内側に閉ざされた個人・思考・知識」という考え方が終焉しつつあると主張する。さすが作家の感性は鋭い。その主張は、多様な脳がウェブ上でリンクしあう時代、オープンなネット社会において大事なのは伝達力であり、ネット上の不特定多数無限大の人びとや企業を、能動的な表現者として巻き込んでいく戦略であるという、梅田氏の中核的な主張にもつながっていく。
『人間論』における二人の対話は、Web2.0時代における「教養」のありかたについての議論で終わっていて、これがまた重要な問いかけになっている。梅田氏は、Web2.0において膨大な外部記憶が利用可能となるなかで、内部記憶をどう構成し、頭の中に何をインプットしていくかが逆説的に浮上してくるのではと指摘する。若い時に身につけた「教養」すなわち脳内記憶が、膨大な情報を処理し構造化していく上で決定的な重要性をもち、個人差が決まってくるという。然り!  このことは、デザイン(アウトプット)の前にプレ・デザイン(インプット)を豊かにし、その解像度を上げないといいデザインはできないという西村佳哲さんの先日の講義の内容とも重なっていく。
この2冊の本、今日、技術を語ることは感性を語ることであり、哲学や教養(リベラルーアーツ)を問うことであるということをさらりと展開した、本を読むことの悦びを与えてくれる快著である。