餅まきに欣喜雀躍


追い込みモードでやっていた仕事が、小さな区切りがついたので、きょうは午後から休みをとり、散髪の後、けやき通りの本屋さん(キューブリック)により、クルマを洗浄機にかけ、そしていそいそと芥屋に戻った。17時から芥屋区公民館の棟上げ祝の餅まきがあるためだ。
餅まき開始間際にかけつけると、既に140〜150人の人びとが袋を銘々にもって集まっていた。どの顔もニコニコで、公民館の棟上げが嬉しいのか、やがて天上から降ってくる餅に期待をふくらませてか、なごやかなことこの上ない。もちろん、顔見知りが多く、「あらセンセ、きょうは仕事休みね」だの「奥さんと二人でしっかり拾わなつまらんバイ」と声をかけられ、軽口をたたきあう。それにしても夕刻とはいえ平日に、300戸余りの芥屋区公民館の棟上げにこれだけ集まるとは、ちょっとオドロキである。餅まきは、10人ほどの男どもが屋根上にあがり一斉に散布を開始し、ものの3分ほどで目出度く終了。エプロンを広げて収穫を狙うオバサンもいれば、要領をえないままあっち行ったりこっち行ったりのオッサンもいたりで、さながら人生の縮図(笑)。当方の収穫はというと、カミさんと二人で紅白餅セット30個と縁起物の五円玉一個。まずまずの戦績である。
今どき餅まきの神事は都市部ではほとんどなくなったが、芥屋に移り住んからはこれで三度目だ。回を重ねるごとに要領がつかめてきた。一に、餅が落ちている地面をベタに追うのではなく、天上を仰いでこれから落ちてくる餅の落下動線をしっかり見定め、その先で待ちかまえること、、、。
それはそうとして、300戸あまりの地区で、行政の力をほとんど借りずに自治公民館を建てるというのは、今日の世相を考えると奇跡としかいいようがない。870坪の用地を新たに購入し、鉄筋・木造の建物(建坪120坪)を、総事業費8,000万円近くをかけ「自分たちの公民館」をつくろうというのだ。単純計算では、1戸あたり約25万円の負担となる。総事業費のうち、5,000万円は区(5つの組からなる)の積立金で、町からの助成は240万円のみ。残りは区の借入金等で賄われる。
これだけの公民館建設が実現にまでこぎつけるということは、「個人」や「世帯」を超え、それを支え、意味を付与していく「共同」や「公共」の意識まだしっかり残っているからに他ならない。もちろん時代の流れは避けようがなく、組の集まりに出ると、コミュニティーの維持が次第に難しくなっていることを伺わせる話が多いが、それでも300戸集まれば、これだけのことが成しうるとうのは、やはり凄い。意識のみならず実体面でも、ここでの「公共」は行政(役所)が仕切るものではなく「自分たち」でつくるものとなっている。さらに、都市(まち)の人間にはわかりにくいと思うけれど、芥屋区は5つの組がすべて自分たちの集会所をもち、公民館についても本日棟上げした「芥屋区公民館」に加えて、より広域をカバーする「芥屋地区公民館」が町立で維持・運営されている。芥屋区の住民は三階層の集会施設をもっているのだ。
しかし、いいことづくめではない。集会施設の稼働率は正直言って決して高いとは言えない。人びとは「共同」よりも日々の仕事や個々の生活を優先せざるを得ないというそれぞれの事情がある。こうしたなかで、新しくできる自分たちの公民館をどう活用していくか ─。やがてお目見えする公民館は大小の会議室はもちろんのこと、ステージあり、調理室ありで、文字通り地域の文化センターとして十分使える内容をもっている。すでに、サンバ教室をやろうとか、男の料理教室の構想やら、調理室を使って物産開発をやろうとか、「もし公民館ができたら」といういろなな話が出始めている。勢いがなくなりつつある地域コミュニティー蘇生のきっかになるかもしれない。団塊世代の恰好の溜まり場ともなろう。
芥屋にも地区出身者のUターンや、当方のような外からの移住組、新しい感覚をもった「お嫁さん」層の拡大など、これまでとはちょっと違う発想と展開の兆しが表れつつあるように思う。もちろん、共同世界の成立条件として大事なのはハコモノではなく、あくまで人だ。公民館を拠点に、楽しいことを仕掛けたいという人が現れて、畑の中の建物に夜遅くまで明かりが灯り、賑やかな声や音楽が毎晩聞こえるようになれば、まさに「自分たちの公民館」として自慢できるシロモノとなる。
じゃ、そういうお前は何をやる? と問い返されそうなので、あわてて(笑)プランを練りはじめたところだ。