承天寺の怒り(3)


 (建設予定地と川上音二郎の墓)

木曜早朝坐禅会に3週続けての参禅である。きょうは5人と少人数であったが、Mさんという若い仲間が加わった。現在、休職し療養中だそうで、うつ病に向き合っておられるとのこと。メンタルな問題をかかえる人たちが、それを乗りこえていく糸口を坐禅に求めるケースが増えているようだ。至雲住職によると、承天寺にもそうした人びとが繰り返し訪れるとのこと。現代社会における禅寺の役割を、社会全体でもう少しきちんと考え直したほうがいいように思う。
さて本日、住宅会社(東宝住宅)に「願い書」を提出した。当堂も有給休暇届を出した上で参加した。10時にお寺に集まり、10時半に約束してある東宝住宅へ。向かったのは、博多祇園山笠振興会副会長、地元自治会会長、建築家として博多部のまちづくりにこれまで様々に参加してきた水野宏さん、そして当堂の4名。墨書された「願い書」を携えた。東宝住宅で対応に現れたのは先日の説明会のY部長のみ。水野さんが事前に支社長に連絡を入れ、支社長の都合にあわせて日時を設定したとのことであったが・・・。肩透かしである。Y部長に願い書を渡すと、ただ受け取るだけという風情であったので、「開いて読んでもらえませんか」。そこで部長氏は書状を手に取り、開き始める。巻物の和紙に墨痕淋漓と記された、ワープロ文書とまったく異る趣の「願い書」にやや驚きの様子。
その後、アレコレと20分ほどのやりとりを行った。しかし、「支社長は?」と問うと、うにゃむにゃの返答しか帰ってこない。「社長、支社長が承天寺に挨拶に来るのが筋ではないか」との問いには、「この件については私が責任者」「現時点では私の判断で、私が責任者として対応させていただきます」の一点張り。どうも、現場の対応窓口としての役割と組織的・経営的なな意思決定責任の違いという、誰でもがわかるリクツを無視した対応は、事の重さを認識していのではとこちらが不安になるほど。あまつさえ、先日の説明会に臨んだ関係者の対応について、「一度にたくさんでやってきたり、勝手にビデオを撮るなど暴力的な対応には、こちらとしてもそれなりに考えざるを得ない」との発言が飛び出してしまった。
また、先日の説明会での「計画の詳細については景観室の指導にそって計画内容を再検討した後に、図面を含めてお渡しいたします」との発言について尋ねると、「計画に変更はありません」。これでは福岡市の景観室はコケにされた恰好である。他地域での実例等を詳細に検討する必要があるが、一般的には20メートルというのが、歴史・文化景観を守りつつ許容しうる建築物のギリギリの高さとされるようだ。とすると、景観室の指導を受けた後も、当初計画通り15階建て(43.75メートル)にこだわる東宝住宅との懸隔は余りに大きい。
かくして、これではラチが明かないというのが本日の印象であった。我々は、お承天寺についての分厚い歴史書2冊を風呂敷包みから取り出し、「社長には承天寺が博多の歴史の上でどんなに重要な存在であるのか勉強をしてほしい」と手渡した。そして、「この大著を読むのは大変でしょうから、社長にしても支社長にしても、寺に一度来て、住職の話を聞いてもらったら、福岡市民にっての承天寺の大切さがスグにわかります!」と丁寧かつ“非暴力的”に伝えておいた。
いずれにせよ、「願い書」に連署した12団体を中心として、市民の声をこれからどう盛り上げていくか ─。承天寺は、これまで都市計画(道路用地の提供)や山笠や歴史観光など市の文化・産業振興策への協力をはじめとして、市の発展のために様々な協力を惜しまなかった寺である。福岡市・福岡市民は承天寺には大きな恩義を負っていることを忘れるわけにはいかないのだ。景観室のみならず、吉田宏市長が率先して問題解決に当たられることを、旧市民・現参禅者として期待し注目したい。


ーーーーーーーーー

願い書

東宝住宅株式会社
代表取締役社長 東 精男 様

                        平成19年5月 日
                博多祇園山笠振興会 会長 
                寺町ネット協議会  会長 
                萬松山勅賜承天禅寺 住職 神保至雲
                 他9団体・代表の署名

拝啓 新緑の候 貴社におかれましてはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
さて、貴社が計画中の承天寺隣接地に於ける計画についてお願いがございます。
承天寺聖一国師円爾により四條天皇任治三年(1242年)に創立され、後嵯峨院覚元元年(1243年)後嵯峨天皇により勅願所管寺に列せられました。当時の博多は宋・元との貿易や文化交流の日本の窓口として栄え、承天寺はうどん、そば、羊羹、饅頭の日本における発祥の地であり、新しい文化の発祥の地として、博多のみならず日本にとっても貴重な歴史的な存在です。「中世博多の聖福寺承天寺を始めとする禅宗寺院の歴史は、日本文化史全体の基礎部分を成している。(九州大学名誉教授 川添昭二著『承天寺の歴史』より)」といわれています。また、博多の重要な祭事である博多祇園山笠の発祥の地でもあります。
計画地は新派劇の創始者として海外でも活躍した川上音二郎の墓もある由緒ある墓地や方丈の背後であり、建設されれば方丈の庭、書院の庭、泉水庭などの景観だけでなく寺全体の美しい貴重な景観も破壊される可能性があります。
また、この地域には多くの名刹がならび博多の寺社町として貴重な景観を形成しており、全国から多くの観光客を集める山笠のコースも近く、福岡市民共有の財産として福岡市民・行政一体となって景観重要地域として景観の保全を強く願うものであります。
以上の点をご考慮いただき、中高層建築物建設以外の土地の利用をご検討いただきますようお願い申し上げます。
敬具