承天寺の怒り(11)洗心庭に臨む座談会の妙

東宝住宅より、「現計画にこだわることなく、地域に貢献する形で計画を見直す」と計画を見直す方針が福岡市に伝えられた、まさにその日、西日本新聞企画の座談会「博多部で「語ろう隊」徹底討論」が開かれた。座談会メンバーは、この間、「承天寺とマンション」問題に同じ思いで取り組んできた四人衆である。テーマは、マンション問題、博多部のまちづくり、承天寺を分断している都市計画道路の問題など、多様に設定されていた。
これまた「夏休みの絵日記」風ブログであるが、それは夏の陽射しがかんかんと照りつける、うだるように暑い日の午後であった。しかし、座談会会場となった承天寺のお座敷(「提無室」)は、緑が映える洗心庭に臨むとともに、心地よい風がすーっと吹き抜けていて、そこが最高に贅沢な空間であることを改めて感じた。
座談会は、「ぞうたんのごつ」「なんば考えとうとや」「やめちゃらんね」という、「博多っ子純情」作者・長谷川法世さんの博多弁トークで始まった。その雰囲気と参加各位の発言の一端は、以下の記事から推測してもらうしかないが、2時間を越す座談会は、それぞれが「承天寺」や「博多」にかける思いや夢を吐露しあう、濃厚な時間となった。
しゃべったことの多くは忘却の彼方であるが(笑)、自分のなかで立ち上がってきた二つの言葉は今も覚えている。
一つは、「直会(なおらい)」。議論のなかで、見直し、再生、永続性といったことが語られるなかで、突然、「なおらい」という言葉を思い起した。座談会でもそのことを紹介した。そう言えば、もともとの意味をよく知らないままにこの言葉を使っていたのだ。そこで、座談会終了後に一同に尋ねると、至雲住職から「神事にまつわる言葉です」とのコメント。そこで辞書で調べて見ると、「神事が終って後、神酒・神饌をおろしていただく酒宴」「ナオリアイの約。斎いみ が直って平常にかえる意」などと書かれている。どうやら、聖の世界から俗の世界に戻ってくるというのが本義であるが、異なる視点や概念をつうじて、世界との向き合い方をがらりと変えるというように少し意味をひろげれば、「直会の精神」といのは改めてなかなか素敵な言葉であると思う。この世間は、学び直し、住まい直し、契り直し、、、、と「直会」で蘇る世界ばかりである。
二つ目は、思い起したというよりかねてよりの持論である。天神が「都心」をめざすなら、博多は正調オッペケペーで「心都」「心の都」「心のダウンタウン」をめざせという点だ。天神が、ビジネスや経済に直結した業や賑の中心、まさに地理的というか二次元平面上の中心をめざすなら、寺社町が息づく博多は、人びとの精神性・霊性にふれる、心が感じられるまち(三次元空間)を目指せばいいじゃないかという主張だ。そのどちらが永続性をもち、「千年都市」の推進軸となるかは歴史が教えるところだと思う。
多様な分野の方々との座談・放談の会は、こうした妄想を刺激してくれるので、とてもありがたい。


福岡県/博多部で「語ろう隊」徹底討論 出席者4人の発言要旨(西日本新聞 2007/06/28)

 ●感じる「心都」目指せ
 ▼九州大学大学院教授 坂口 光一氏
 大学で取り組んでいる「ユーザーサイエンス」は、感性を重視する。博多の街も「皮膚感覚で伝わる魅力」、言い換えれば「地域感覚」を備えることが大事だ。観光客は「たたずまいのある町」にひかれる。それは景観の良さだけを意味しない。地域に暮らしが生きており、住民が誇りを持つことに胸を打たれるのだ。
 博多祇園山笠や麺(めん)文化の発祥の地であり、750年以上を経て今も続く承天寺は「奇跡の寺」と言っていい。その貴重なお寺の景観を損なうマンションが建つ計画が浮上している。法律さえ守れば済むという話は、社会的に通用しない。「都市の風格」をなくす開発をしてはならない。
 「文化」は長い目で見る必要がある。これからの都市計画は近視眼的ではなく、千年先を見据えたものでなくてはならない。都市計画には失敗もある。過去を振り返って失ったものを見直す、やり直す姿勢も必要だ。
 博多部に「心都(しんと)」という言葉を提案したい。現代人は、癒やしや救いを求めている。寺社町を中心に、ほっとする心都を目指してほしい。
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 財団法人九州経済調査協会研究員を経て現職。アジア麺文化研究会会員でもある。大牟田市出身。54歳。
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 ●先人の知恵に学ぼう
 ▼「博多町家」ふるさと館館長 長谷川法世
 承天寺(じょうてんじ)の裏にマンションが建つと聞いて「ぞーだん(冗談)のごつ、やめちゃんない」と思った。博多の歴史が(建設会社に)理解されれば、もう少し考えてもらえる余地があるのではないか。
 最近は「早朝の山笠行事の騒々しさに驚いたマンション住民が、警察に通報した」という信じられない話も聞く。博多部には山笠や松囃子(まつばやし)など伝統ある祭りがある。例えば、不動産業者がマンションの入居者を募るパンフレットに「ここに住む人は山笠に参加してもらえませんか」と一文を添えてはどうだろう。そうすれば新旧の住民が分かり合えるし、業者も町を知るはずだ。
 以前の博多の町は、どの家も当然のように目の前の道を掃除した。区割りが「通り」から「街区」に変わり、住民が道から遠くなった。ただ、山笠には「通り」に基づく自治組織が残る。先人の知恵を取捨選択して現在に受け継ぐ文化が、しっかり根付いている。日本で二千年も栄え続けている場所は、博多くらい。これまで以上に過去の歴史や文化を学び、今に生かすことが大切だ。
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 漫画家、作品に「博多っ子純情」など。博多町人文化連盟理事長も務める。福岡市博多区出身の博多っ子。61歳。
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 ●品格のツーリズムを
 ▼福岡アジア都市研究所市民研究員 中野加代子氏
 承天寺の裏手に計画されているマンション建設が、これからどうなるか不安でいっぱいだ。新博多駅ビルの開業や新幹線全線開通などで、この地域にマンションを建てようとする業者はさらに増えるだろう。外国資本や東京資本が押し寄せてきているという話も入ってくる。地元がこれから地域をどうしたいのかを提案し、官民で早急にプランを練るべきだ。
 承天寺の境内を通した市道は、都市計画が失敗だったと認め、市民の道として作り直してほしいと思う。道が狭いと、人が接して交流が生まれるといういい面もある。「いったんできたものは仕方ない」とあきらめず、道を元に戻すように強く訴えかけていきたい。
 博多は歴史が古く、人の知恵や重みが詰まった町。都会でありながら、田舎のようでもある。地域で子どもを育てるという姿勢もあり、小学校でも陰湿ないじめはないと聞いた。外部の人に博多の自治の誇りや暮らし、生き方が伝わるような品格ある「博多スタイル」のツーリズムが生まれたらいいと思う。
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 NPO法人「博多の歴史と文化の寺社町ネット」会員、博多部まちめぐりサポーター。福岡市中央区出身。46歳。
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 ●「死に道」散策の場に
 ▼博多駅前1丁目3区自治会長 野中俊一郎氏
 先日、承天寺の裏にマンション建設を予定している業者に「企業利益のために住民感情はどうなってもいいのか」と訴えた。市にも陳情した。都市景観条例はあっても、強制力がないことが問題だと感じる。
 承天寺を分断している道は、いっそのこと車の通行を遮断し散策道路にすればいい。今、この道には工事用のミキサー車が洗車するためなどによく止まっている。街づくりから考えれば、はっきり言って「死に道」だ。博多駅ビルの新築や新幹線の開通で観光客が増えたとしても、そんな状態では雰囲気が出ない。
 散策道路になれば交通利便性が落ちるという見方もあるが、あの道路を拡幅したせいで住民は減り、ドーナツ化現象も進んでしまった。
 博多駅が移転し、会社が増えて見た目はきれいになったが、地域はさびれた。都会は都会でも、博多は暮らしのある場所であるべきだ。住民が輪をつくり、人と人とのつながりや触れ合いを大切にしていくべきだし、そうすることで、観光客にも町の良さが分かってもらえるはずだ。
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 鎌倉時代承天寺建立に尽力した謝国明をしのぶ「謝国明遺徳顕彰慰霊祭運営委員会」会長。春日市出身。73歳。