異常時の駅構内アナウンスの不愉快 ─ 博多駅での体験

怒りというかイライラがJR博多駅プラットホームで爆発した。博多織元の西村織物さんが「博多織献上館にしむら」をオープンされるというので、その記念式典に参加するため、地下鉄からJR快速に乗り換えることに。博多駅につくと、乗り継ぎの時間があまりなかったので、急ぎホームに駆け上がると、千早駅で人身事故がありダイヤが乱れています、とのアナウンスが耳に入った。電光掲示板をみると、「6分遅れ」とか「14分遅れ」といった列車ダイヤがのっていた。快速に乗ろうということでそのホームへ移動。しかし、まてどその列車はこない。それじゃということで、やがて熊本行特急が入るというホームへ移動。特急はほどなく到着、しかし、これまたまてど発車しそうにない。そうこうするうちに、線路の向こう側のホームに後発予定の快速が入り、ほどなく出発した。「えっ!?」とキレてしまった。特急の車掌に「この列車は何分後に出るのか! なぜ出ないのだ! 後発予定の列車にまた先をこされることはないんだろうね!」と詰め寄ると、車掌氏は駅事務所へ。戻ってくるなり、「次に出るのはこの列車です」。そして、「運転手がまだ到着していないので出発できないんです」と間の抜けた返事。これにはキレるよりあきれてしまった。こうして50分近くホームでイライラしながら時がたつ間、構内放送は意味なくがなりたてるばかりであった。JR九州の異常事の構内アナウンス、顧客誘導のあまりのお粗末さに、ひと言。
当然のことながら、列車事故によるダイヤの乱れそのものはありうべきことだ。問題は事故時の顧客対応だ。それも顧客視点にたって的確になりうるかどうか。ポイントは2つある思う。
一つは、「顧客にとって今一番必要な情報は何か」に徹底してフォーカスをあてること。今回の場合、一刻も早く目的地につきたいと思っている人間に対し、「どの列車が一番先に出るか」について全くアナウンスがなく、聞いてもわからない状態。繰り返し流れる情報は、「人身事故のため、列車のダイヤが乱れ、ご迷惑をおかけしております」(そんなことわかっている、同じことを何度も言うな!)や、「お客様にお知らせいたします。お客様の周辺で不信なものをみつけられた場合は、たたぢに駅構内職員におとどけ下さい」というマニュアル通りのアナウンス(そんなこと言ってる場合じゃない!)。
二つ目は最初のポイントと重なるけれど、「顧客のイライラを解消するための万全の措置を講ずる」ということだ。ダイヤの乱れで、ただでさえイライラしていのに、意味のないアナウンスを、ことさらに大きな声でがなり立てる。しかも同じことを何度も繰り返す。イラつくことこの上ない。しゃべっている本人は、大変だということで、繰り返しアナウンスしたという結果を必死に残そうとしているのだろうけれど、どうでもよい一方的な情報の拡散はノイズに転化することをまるで理解していない。無神経の嵐のなかで、プラットホームは軍艦マーチ鳴り響くパチンコ店内のような状態となっていった。
いずれにしても、今日のJR博多駅は、顧客の立場にたって、異常事態に冷静に対処していく現場対応力のなさを露呈してしまった。状況を俯瞰し情報を収集しながら、ホームでテキパキと顧客対応にあたる「臨時コンシェルジェ」をプラットホームごとに出動させるくらいのことは、安全とともに安心を運ぶ企業のリスクマネジメントとしてやってもらいたかった。もちろん、そのためにはあらゆる事態を想定した、シナリオ・プランニングと平常時の社員教育が不可欠だ。誠心誠意、事故時対応にあたってもらって大いに助かったという顧客サイドの記憶は、信頼・共感という名の企業ブランド形成の原点をなしていくはずだ。逆に対応を誤ると、折角の機会を逸するばかりか、「やっぱり、、、」という逆スパイラルに陥ってしまうことになる。それほどに異常時対応の顛末は重要だ。
それから、もうそろそろ、音(様々な案内やBGM等)に鈍感な拡声器騒音大国・ニッポンの不名誉を返上しないといけない。そのためにも、異常時・通常のそれぞれについて、アナウンスのガイドラインをきちんと作成し、最低限ルールにそった意識改革を実行すべきである。これは、鉄道だけでなく、バス、商店街、選挙演説、学校といたるところで見受ける共通の問題である。成熟した「個」を念頭におけない“余計なお世話”の“イライラ・アナウンス”がなくならない限り、「美しい国」の実現はほど遠い。
この月曜日の、JR本社での感激の余韻がしっかり残っているだけに、それとのギャップの大きさに面食らって、思わず言いたいことを言わせていただきました。