和歌と出会い直す

昨日から今日にかけ、泊まりがけで佐賀県の古湯温泉に出かけた。地元大手企業の経営者の合宿勉強会に講師としてよばれたのだ。参加者はいずれも次期社長になってもおかしくない方々である。全員が僕とほぼ同世代もしくはちょっと上ということもあって、10人の泊まりがけ合宿はなかなかに楽しかった。
楽しかったというのは、一泊二日のスケジュールの中身にその理由がある。経営者の勉強会だと通常は、企業経営のありかたとか、日本経済の動向とかいったもっともらしいテーマになりそうだけれど、今回は、「わが国の精神文化に学ぶ ─ 古へ人の心を今に伝える和歌とは ─ 」「指導者に求められるもの ─ 短歌で養ふ見る力・感じる力・表現する力」「指導者の哲学 ─ 禅に学ぶ」などとなっていて、文化を語り、哲学を学ぶという、一風かわった趣向なのだ。背景には、この合宿勉強会を企画された小早川明紱さん(福岡県中小企業経営者協会 会長)の哲学というか狙いが隠されている。
で、和歌との出会い直しである。講師は、(社)国民文化研究会福岡事務所長と(株)寺子屋モデル代表世話役社長という2つの肩書きをもっておられる山口秀範さん。25年にわたるゼネコンでのサラリーマン生活のうち12年を海外で過ごされ、ロンドンビジネススクールに留学されたこともある、元はばりばりのビジネスマンである。50歳を前に会社を依願退職され、今のお仕事を始められたとのこと。長い海外生活をへて日本に戻り、子どもたちの顔に余りに生気がないのに愕然としたことがその大きな動機になったそうだ。山口さん、修猷館高校の時に、国語の先生であった小柳陽太郎先生に和歌の手ほどきを受けたのが和歌の世界に親しむきっかけとなり、海外駐在中も日本のことを忘れないために歌を詠み続けられていたという。
山口さんの和歌教室は、初日・二日目と2回に分けて行われた。初日が講義、二日目がそれぞれ自作の和歌をもちよっての相互批評(山口さんの添削付き)である。初日の講義で山口さんは、われわれは二千有余年にわたって受け継がれてきた和歌という一つの形式を通じて、歴史上の人物を含めた先人の心に直接ふれ感じることができる、こんな文化遺産をもつ国は他にない、そのことに気づき、その素晴らしさを見直すべきだと力説された。そして、冒頭で紹介されたのが、「父母が頭かき撫で幸(さ)くあれていひし言葉(けとば)ぜ忘れかねつる」という万葉集防人の歌であった。父母が子にかける情愛は、千数百年前であれ今であれひとつも変わらない、自分の心を素直に表現したものは千年先の人にも通じるものですという山口さんの言葉に、和歌の見方・接し方が一瞬のうちに変わったような気がした。そして、日本語のいのちを感じ、言霊(ことだま)の力を数編の和歌で再確認しながら、初日の講義はあっという間に終わった。ただし、「明日の朝までに、みなさんそれぞれに和歌をつくってみて下さい」との宿題付きである。
その後、夕食・交流懇談会、入浴タイム、二次会と、合宿のスケジュールは進んでいいったが、各自の頭には宿題のことがしっかり残り、さながら夏休み終盤の小学生のようで、寛ぎのなかにも緊張感がない交ぜとなった不思議な一時を全員が味わうこととなった。そして、翌日、朝食の際に「短歌習作用紙」が配られ、歌を書き下ろして食事後の講義の際に持参するようにとの指示があった。「オレは書けない」「逃げ帰ろうかな(笑)」と言っていた人も含め、講義には結局全員が自作を持ち寄ることとなった。なかには、2首・3首と詠んできた人もいる。そして、3組にわかれ、参加者どうし自作を紹介し相互に批評し合い、一緒に手を入れていった。感性の表現でもある自作の歌を披瀝しあい、相互に寸評・アドバイスしあうというのは、大の大人にとっては恥ずかしくもあり気が引けるようでもありで、微妙な時間を過ごすこととなった。
そして、各組がセミナー室にもどり、グループで添削した後の自作をそれぞれに紹介し、山口さんの講評を聞き、山口さんによる添削を受けるということで講義が進行していった。すると、自作(オリジナル)→添削1→添削2、とみるみる良くなり、歌らしくなっていく様に、一同、「ひぇー」「いいねぇ」といった賛嘆の声とため息をあげた。もちろん僕を含め、参加者にはそれぞれに、和歌との出会い直しを果たした嬉しさが満面であった。
コミュニケーションの極意としての相互批評という方法をはじめ、「短歌で養ふ見る力・感じる力・表現する力」というコンセプトは、経営者、学生、子どもたちに限らず、いろんな場面において学びのプログラムとして活用できるとの確信をもった。しかし何より隗より始めよで、山口さんから分けていただいた『名歌でたどる日本の心 ─ スサノオノミコトから昭和天皇まで』(小柳陽太郎他、草思社)を入口として、プチ歌人の道をさぐってみたいと思っているところだ。きっと、このあたりの“のぼせ”も暑さのせいだろう。
そして、のぼせついでに、わが歌の軌跡を紹介しておこう。

(オリジナル)こがね射す浜の海家の蜻蛉舞い 花火はいつぞ夏は終わりぬ
(添削1)蜻蛉舞う浜の海家にこがね射し 花火なつかし夏は去りゆく
(添削2)こがねの陽 浜の苫屋にさし入るも 蜻蛉舞い初め夏ゆかんとす

こうやって並べてみると、プチ歌人の道すらとても険しそうだ(笑)。


 *寺子屋モデル→ http://www.terakoya-model.co.jp/