ファッションデザイナーの不思議な魅力

(振り返りブログ)
ある企画のために、ファッションデザイナー・田代淳也さんのアトリエ Himitsukiti(ひみつきち)に出かけた。そこで、田村さん、博多織元の岡野さんと合流し、製作中の作品群に囲まれるかたちで、新進気鋭のデザイナーである田代さんの話をしばらく聞き、あとは近くの海鮮料理屋でビールをのみながら、いつものパターンで談論風発。かなり遅れて、伝統工芸の世界でコーディネーターとして頑張る小串さんが合流。
いまはやりの佐賀出身、32歳、東京コレクション参加という若きファッションデザイナーの人柄というか、滋味あふれる雰囲気に惹かれてしまった。ふつうファッションデザイナーというと、どうしても「あの」イメージがあるが、田代さんにはまったくそれがない。一日中でもアトリエ(工房)でもくもく仕事をしているという風情なのだ。僕はまったくのシロウトで知らないけれど、東コレに出品するというのは凄いことらしい。今年3月に開催された東京コレクション参加の全38ブランド中、地方からの参加は、唯一田代さんのブランドだけだったらしい。
そんな田代さん、サラリーマン時代に突然「服をつくりたい」と思い、この道に転じたそうで、その後はほぼ独学で腕を磨いていったとのこと。聞くと、お母さんが家で縫製の仕事をされていたそうで、その後ろ姿をみながら育ったことが影響をうけたのかもしれないとのこと。人間、やはり育った環境というか親の影響は大きいとしみじみ思った。
草木染めをはじめ素材へのこだわりを大切にしているそうで、アトリエにさがっていた製作中の作品も、自然なやさしい色合いとほんわりとした風合いとぬくもりが、シロウト目にもよくわかるほどだ。昨年の東コレ参加のきっかけとなった博多織とのコラボレーションも素材の面で興味がまず第一にあったという。昨年の東コレで伝統産地とのコラボを打ち出したのは田代さんだけだったという。
彼をとりまく僕らの関心は、東京でなくなぜ福岡なの? 福岡のポテンシャルはどうなの? といったことだった。それに対し彼は、インターネットや宅急便の普及で、地方でも受発注や調達の面での不自由はほとんど感じられないという。「じっくり、いいものを、息長くつくり続ける」上で、福岡には大きな可能性を感じているという。しかし、福岡のファッションデザイナーは外への発信に対する意欲が低く、“自己満”になりがちだというのが彼の福岡に対する評価だ。その点、東京は明快な思想をもったデザイナーが多く、出て行くと大きな刺激を受けて帰るという。機能的な立地環境と感性的な情報交流機会のバランスというべきか。
メーカーでなく、アトリエとしてベーシックなものをつくり、感性を共有してもらえる人に長く着てほしいという“JUNYA TASHIRO”のめざすものは、「千年工房」をかかげる博多織元・岡野とまったく同じといってよい。そんなこともあって、岡野さんは料理屋で「工房ビジネスモデル」をしっかり打ち立て、工房マネジメントの体系をつくりましょうよと田村・坂口の年寄りコンビに迫ってきた。もちろん、年寄りダンサーコンビ(笑)も便乗して「そうだ、やろう」の大合唱となった。
「事業を継続させる、大きくしない、メーカーにならない、長く使ってもらう」という明快な軸をもった田代淳也さんのアトリエ経営は、まさに社会や企業の新しいありかたを先取りしていると確信した。21世紀社会の中心を担うのは、クリエーター同盟、プロデュー サー結社といった形で、“濃い人間関係”を背景 とした「感性工房型インダストリー」であるべきたとつねづね思っているからだ。そんな話をし出すと、福岡というまちは、酒の力も借りて「東京なんて!」と勢いづくところが面白い。そんなことを思いながら、意識明瞭、比較的しっかりした足取りで家路についた。