茂木健一郎・食卓の生教育・灯明献上道中

きょうは終日、着物で過ごした。しかし、着物で過ごしたといっても、かんじんの着付けはまだ一人ではできない、情けないことにカミさんに任せるがままである。義理の母の着物2着を息子用に仕立て直したものをきて、まずは九州大学仏教青年会主催の「慈のこころ、百年 ─ 。」に向かった。男の着物姿というのはやはり「おやっ?」と思うのだろう、歩いていてもいろんな人間の視線を感じる。地下鉄では、お隣のご婦人から「素敵なお着物ですね」と声をかけられた(「お似合いですね」でないのがちょい残念)。こんなことは、洋服ではありえない。
「慈のこころ、百年 ─ 。」は、13時半から17時半まで、茂木健一郎さんの基調講演「脳と生命」、九大フィルのオーケストラ演奏、パネルトークと長丁場であったが、とても素晴らしいイベントとなった。イベントの企画・宣伝・運営をすべて学生がてがけていることもあって、2〜3日前にはどうなることか心配であったが、会場は超満員、600人は入っていたのではなかろうか。
学生たちの熱意を感じたモギケンの講演が、とてもよかった。仏教青年会の主催ということもあって、モギケンが繰り出した本日のキーワードは原始仏教の中心教理の一つである「無記」。極楽浄土があろうとなかろうと、輪廻転生があろうとなかろうと、そうした形而上学的な問題について一切語らず、現実の人間の苦しみの止滅を第一義の目的にしようとする釈迦の思想だ。モギケンは「無記」の思想を起点に、生命の多様性やコントロール不能についてふれ、一人一人の生の縁起性に思いを致し、首尾一貫性が生命の本質から遠いことを語った。また、白紙リセット状態での改革思想が、過去からの積み重ねである生命の原理からいかに遠く、生命の本質は新旧の間(あわい)にこそあると断じた。そこには、持続可能性としての生命の本質にふれる本物の思想があった。
 後半は「心と向き合う ─ 科学と宗教から学ぶ生きるヒント ─ 」パネルトークであったが、ここでも「脳疲労」の概念提唱者である藤野武彦氏をコーディネーターとして、モギケンに精神医学の牛島定信氏、インド哲学の戸崎宏正氏が加わり深い対話が展開されていった。その詳細は略すが、モギケンにとって、今回の九州旅行は印象深いものであったようだ。翌日、彼のブログ(クオリア日記)に次のような記述があった。

「偶有性」には、規則性と不規則生が入り交じっているという意味の他に、「それ以外の状態にもなり得たのに、現実には今、ここにこうしている」という含意がある。どのような状況に置かれても、偶有性を味い寄り添って生きていけば、それは生きるに値する命となる。そう考えたら、何だかワクワクしてきて、ボクは楽しくなった。胸の底から、わけのわからないうちに生まれ、いつかは死んじまうこの地上の生を肯定する気になった。九州まで来て良かったと思う。
 サインにいそしむモギケン

「仏青」の後は、学内の友人である佐藤剛史君の主催する出版記念パーティ会場であるグラント・ハイアット・福岡へ。農学者である佐藤君と、助産師である内田美智子さんとの共著『ここ ─ 食卓から始まる生教育』の出版記念である。「出会い」「つながり」を楽しむというコンセプトの楽しくかつ賑やかなパーティであった。が、しかし、次のイベントに馳せ参じねばというので、残念なことに座が盛り上がり始めた時に、目黒さんを会場に残し、タクシーの人となった。

向かったのは「灯明献上道中」である。博多・御供所地区を、東長寺聖福寺妙楽寺承天寺というコースを着物を着て練り歩くことで、地元の伝統工芸品である博多織を再認識してもらうと同時に、着物の似合う街「博多」をアピールしようというものだ。たぶん聖福寺あたりではというのでタクシーを降りると、境内を、博多献上帯を締めた幟持ち、提灯持ちの男性に率いられた総勢20数名の綺麗どころがしゃなりしゃなりでゆっくりと歩いていた。髪を島田に結び、紋付に博多献上帯姿という博多検番の芸妓さんがたや、ミス福岡などなど、艶やかなことこの上ない。職場の同僚である藤原昌子嬢もしっとりとした着物姿で、お茶の師匠・志村宗恭さん(イベント実行委員会の代表でもある)とともに参加していた。聖福寺を後に御供所通りを30分ほどかけゆっくり歩き、ゴールの承天寺へ。博多織の恩人である聖一国師と満田弥三右衛門に全員でお参りをした。最後はもちろん博多一本締めである。



「灯明献上道中」は今年が初めてであるが、着物を中心にすえた祭を博多のまちに定着させたいということで、「千年工房」「博多一十」を経営する友人・岡野博一君が発案し、志村さんらとともに実現させたものだ。たゆたう灯明をたよりに、拍子木をたたきながら、寺町をゆっくりと歩く ─ 。まさに、新と旧の間(あわい)に息づいている「和」の心を、美女とともに味わう貴重な経験となった。博多検番の芸妓さんとのあわいでは、「遊びに行くのでヨロシク」「いいわよ遊んであげる」との約束も成立した。そんな御利益(笑)のある着物もたまにはいいものだ。