サグラダ・ファミリアの外尾悦郎さんに出会う


サグラダ・ファミリア大聖堂(バルセロナ)の主任彫刻家として活躍されている外尾悦郎さんを、九州大学(ユーザーサイエンス機構)の客員教授としてお迎えすることとなり、14・15・16日の3日間おつきあいさせていただいた。ウェルカムパーティ、大学内での意見交換会、公開講演会と様々なセッティングでお話をうかがうことができた。外尾さんは福岡市出身で、京都市立芸術大学を出て、1年間教師をされた後、石を探しにヨーロッパに渡り、いろんな偶然が重なってサグラダ・ファミリアに出会い、今に至っておられる。同じ歳で、ひげ面も同じということで、会うなり共感を覚えてしまった。
しかし、こんな単純なワタシと違って(笑)、外尾さんの作品を含む生誕ファサードが2005年に世界遺産に登録され、某インスタントコーヒーのCMにも出演されるなど、いわば時の人でもある。滞在中、いく先々で若い女性に大もてで、ずいぶん沢山のサインを求められ、快く応じておられた。
滞在中、アーティストとしての直感や仕事のなかで磨かれたいろんな言葉(「肉のある、ジューシーな言葉を大切にしたい」と述べておられた)をいただいた。ノートに書き留めたそれらの一部を下にピックアップしておこう。
外尾さんの言葉を引き出すきっかけともなったのが、大学の教室において「完成なき感性」という題で行ってもらった講演会(講義)である。じつは、そこでの学生たちの質問がシンプルでとてもよかった。「ガウディとつながっていると感じる時は」「心のなかででガウディと葛藤することはないか」「サグラダ・ファミリアは何のためにつくられているのか」・・・
この最後の質問に対する外尾さんの答えがまた、とてもカッコよかった。「一人一人が人間として完成していくために、人はものをつくる。ものに向き合い、ものの世界を生きていくうえで、人は様々な疑問に直面し成長していく」「サグラダ・ファミリアは永遠に未完成であるけれど、サグラダ・ファミリアを通してガウディという人間は完成していったのです」。
こんな風で真剣かつ誠実そのものの外尾さんであるが、「職人と喧嘩する時はいまも博多弁がいちばんよく通じる」というのには笑ってしまった。


<基本スタンス>
*情熱がすべての根源。ニヒリズムの蔓延を危惧している
*心にストンとおちる、人間としての「根っこ」を大事にしたい
*社会の進化には問いや疑問を生み出していく若者の力が不可欠だ
*疑問をもたない者には何も見えない
*「感性」への第一歩は「これは何だろう」と考える姿勢
*「感性」は「刺激」や「生きようとする力」である
*全ては自然の中にあり、本当の情報は自分のなかから出てくる
*自然の摂理をうけとめ、かたちにするのがデザイン
*未来への道は希望や夢がつくる。知識や方法論では開けない
*ガウディ最後の言葉は「あしたはもっとよいものをつくろう」だった
*建築や都市には、機能と構造に加え、象徴(精神性)が必要だ
*職人としてのガウディは「手で考える」ことを大切にした

<教育について>
・これまでの教育は2次元、それをどう立体化していくかが重要
・若者たちはいわば「白い紙」。それにどういう絵を描くかは教育者の責任
・ガウディのつくった小学校は、遊戯、数学、音楽、、、が一体的に教えられていた
 ─ そこに、全人教育の一つのモデルとして捉えることができる
・これからの教育では、モラル(過去への配慮)、マナー(いま・ここへの配慮)、エチケット(未来への配慮)をきちんと教えていく必要あり
・道なき中で、いかに道を探していくか。そのための「構え」を教える必要がある
・見方、思考、生き方の「軸」を変える、多様な「軸」の存在を認めあう。そのことを教えることが大切
・自己が現実社会に向き合うときに、「地域」という単元の重要性が増していく
・芸術も科学も一人では存在しえないことをきちんと教えてほしい
 ─ ミーイズムからの脱却。コミュニケーションの根源的役割