志摩名物 “こてがい”で一杯

これがなくては始まらない
きょうは地祭りの一日となった。それにしても、地祭(じまつり)とは、野太い、不思議な響きをもった言葉だ。例年どおり、集会所にしつらえられた祭壇の前に、峰組の住民(大祖神社の氏子)が集い、11時から「天神地祇 諸災解除 八百万神 組内安全」を祈祝する、神主・小金丸さんによる祭式が行われた。天の神、地のかみ(うぶすな)、八百万の神と、ありとあらゆる神さまに感謝をし、祝詞をささげる。
 気持ちをささげます
 神事の後の膾(なます)
「福神御系図」の掛け軸が飾られた祭壇には、今年も、米、野菜、果物、魚、お汐井が供えられ、一年の息災と安全を祈願した。神主さんによると、芥屋は火事、台風など災害が多い地域だったこともあり、災厄をはらう地祭りが神事として欠かさず執り行われてきたのではという。峰組は年に1回であるが、他の組では年に2回行われるところもある。ちなみに、芥屋の神主さんは、神社を先祖代々守り続けて24代目。大祖神社は境内に承和元年(834年)奉献の石灯籠もある等、太宰府神社(919年創建)よりも古いというのが、芥屋の誇りであり自慢でもある。
神事が終わると、男ども7〜8人で、結界の札を7箇所に立て回った。場所によっては3年前、4年の風雪にたえ、同じ箇所にしっかりと立っている。ぞろぞろと結界辻を回っていると、地祭り始まった頃の、古(いにしえ)人の記憶がよみがえってくるような気がするから不思議だ。
 伝統にたち戻る
 外道・悪魔入るべからず
御神酒が回ったからだを家で1時間余り休ませた後、2時頃から宴会用の料理づくりのために再び集会所へ。宴会準備には男女それぞれの役割があって、男どもは「こてがい」という志摩ならではのふるさと料理の下ごしらえを担当する。鶏の丸体をさばき、むね肉・ささ身はもちろんのこと、骨、皮、油とすべてが大鍋に入れられ、豆腐、ニンニク、糸こんにゃくなどとともに甘辛く煮込んでいくのが「こてがい」だ。「こてがい」に供した残りは、鶏めしと吸い物となる。
 捨てるところなし
 酒がいけます
8体の鶏を、集会所の屋外に包丁、大まないたを持ち出し、戯れ言を交わしながら、各部位にばらしていく。そして、ささ身の一部は、ご褒美の「鳥刺し」に化け、男どもの前宴会に供される。ニンニクぶつ切り、唐辛子、ネギ、醤油を入れ、手でかき混ぜた、まさに男の手料理であるが、これが絶品。酒がいきすぎ、バタンキューと大いびきをあげだす御近所さんも。いやはや天下太平である。
 屋外にて宴会
 幸せすぎて・・・
で、結局は前宴会から6時からの本宴会になだれ込むこととなった。家家から40名ほどが集まっての宴会は、9時近くまで続いた。テーブルでは自分たちで作った伝統料理を食べながら、昔話、艶話に花が咲く。外来の二世帯をのぞいて、みんな親戚や幼なじみで、数十年来の付き合い。見えやはったりは通用しない。すぐに「あんた、なんば言いよっとな」と斬り返されるからだ。しかし、「地」を共有しつくりあう、不思議な安心感というか信頼感が漂っていて、とても心地よい。地域コミュニティの一般的な崩壊状況を考えると、こうした光景は、現代社会にあっては一種の奇跡といっていいのではないか。
 ともに宴を楽しむ
 じつは、年度末の組の寄りでは、「こてがい」をやめて、仕出しを注文し、負担を軽くしたらどうかという提案がなされ、かなりの時間をかけた検討がなされたのだった。しかし、結局はこれまでどおり、自分たちで「こてがい」をつくることとなった。手間暇をかけ、みんなでつくる宴だからこそ、近隣の交流が維持され、地域の伝統が継承される。この単純な原理が、いつまでも尊重され、生き続けてほしい。「地祭り」も「こてがい」、地域を再生しつづける「ローカルな知」としてなくてはならないものだ。
 みんな幸せでありますように


 *地祭り→ http://d2.hatena.ne.jp/rakukaidou/searchdiary?word=%C3%CF%BA%D7