感性価値を考える講座を開講しています

経済産業省との連携講座ということで、現在、次のような講座を開講中です(もっと早くにアップしておくべきでした。喝 !)。狙いは次の口上のとおりですが、その他にも、(1)美術館をメインの会場と位置づけ、「感性」を議論していく「場」としてのこだわりを、メッセージとして発信していく、(2)知識伝達型の講義ではなく、受講者ともに場をつくっていく講「座」としていく、(3)大学の正規の授業(2単位)であるが、一般の方々にもオープンにすることで、多様性にふれる機会をつくりだす、(4)九州経済産業局の職員の方々に毎回、コメンテーターやオーディエンスとして参加していただき、政策担当者もともに考える場としていきたい、と欲張りなことを考えています。
美術館に大学の授業、それも産業経済がらみの授業が出っ張っていくというのは、福岡ではじめてのことだと思います。柳館長の理解のたまものです。おまけに、懇親会としても使わせていただくこととなりました。絵を見た後に、ふらっと立ち寄る感じで、遠慮なくお越し下さい。

▷▷▷▷▷▷▷▷▷▷▷▷


九州大学経済産業省連携講座 "感性の時代"における次世代産業と僕らの生き方


「感性」を軸として、人間の行為や生き方の延長線上に、次世代の産業のありかたを探求していきたいと思う。手元に哲学者・三木清の言葉がある。「人間は環境を形成することによって自己形成してゆく」「我々の行為はすべて形成作用の意味をもっている」「生命とは自己の周囲との関係を育てあげる力である」(『哲学入門』岩波新書)。この言葉を導きの糸として、人間、技術、企業、産業、環境、社会の相互の結びつきを捉え直し、自分目線で次世代産業のイメージをつかみとっていく"きっかけ"をゲストやオーディエンスの皆さんとともに創り出していきたい。

講義の通奏低音は、「感性価値の創造」と「行為としてのデザイン」の2つである。九州における産業現場でのグッドプラクティス(素敵な事例)、ホンモノの実践についてお話をうかがうことを通じ、知識やノウハウを超えた、本質的な学びを得ていくこととしたい。産業の第一線で活躍される方々のグッドプラクティスにふれることで、価値創造の歓びと楽しさを感じとってほしい。また九州が、世界に誇ることのできる感性価値創造の最先端の現場であることを知って欲しい。



*いずれも、17:30〜20:00
*第一部:レクチャー 第二部:クロストーク(ゲスト×コメンテーター×坂口光一)
*講義終了後にゲストを囲む懇親会あり(希望者)。


【終了分】
6/13(金) 志本主義のススメ 
 <アクロス福岡 1階 円形ホール>
 ゲスト:石黒 憲彦 氏(経済産業省 大臣官房 政策評価 審議官)
 コメンテーター:小早川明徳(福岡県中小企業経営者協会 会長

6/20(金) 感性価値創造 − 作・伝・育の作法 
 <福岡アジア美術館 あじびホール>*博多リバレインオフィス8階
 ゲスト:諸永 裕一氏(経済産業省 デザイン・生活政策システム室 室長補佐)
 コメンテーター:石川慶藏氏(佐賀段ボール商会 副社長)

6/27(金) 伝統と冒険 − 和と織のこころ
 <アジア美術館 交流ギャラリー> *博多リバレインオフィス8階
 ゲスト:岡野 博一氏((株)岡野・博多織千年工房 代表取締役社長)
 コメンテーター:九州経済産業局職員


【これから】
7/4(金) 地場深耕 − 焼酎ルネサンス
 <ココロンセンター> *博多リバレインオフィス10階
 ゲスト:中村 鉄哉氏( (株)ルネサンスプロジェクト 代表取締役社長)
 コメンテーター:九州経済産業局職員

7/11(金) 前衛空間 − 情報発信拠点"イムズ"の遺伝子
 <福岡アジア美術館 あじびホール>
 ゲスト:簑浦 英一氏(ABCマーケティング 代表、元(株)イムズ 代表取締役社長)
 コメンテーター:九州経済産業局職員

10/3(金)  観光関係(講師・テーマ調整中)
 <福岡アジア美術館 あじびホール>
 コメンテーター:九州経済産業局職員

10/10(金) 支援と利他から始まる − 産業組織の根源的革新
 <福岡アジア美術館 あじびホール>
 ゲスト:館岡 康雄氏(静岡大学 教授、前 日産自動車(株))

10/15(水) クロージング・ディスカッション
 <アクロス福岡 円形ホール>
 ゲスト:川原 誠氏(九州経済産業局 総務企画部 総務課長)、他

3ヶ月ぶりの再開宣言(笑)と近況

おなじみとなった再開宣言。思いおこせば、前回が3ヶ月前の3月29日。休筆の合間に再開宣言をし、閉鎖宣言を慎重に回避しているところに性格が表れているのかも。「“芥屋さいかい堂”に改名したら」との陰口も聞こえてきそう(笑)。
それにしても、5・6月のスケジュールの混み具合といったら・・・・。おかげでというか、こちとらも人間というか、アポを完全に忘れ冷や汗をかいたり、銀河鉄道ドリーム号で唐津方面まで遠出したり(2回)と、相変わらずだ(苦)。しかし、「駆け抜ける」感じは爽快そのもの。
6月12日はサントリー美術館で“KANSEIカフェ”キックオフさせ、13日から九州大学経済産業省連携講座が始まり、18・19日はスペインから外尾悦郎さん(サグラダ・ファミリア聖堂 主任彫刻家)を迎えての、ワークショップとトークライブ(*)、そして来年春開設予定の大学院の説明会と、立て続けに続いていった。もちろん、その合間に、イベントに付随する打合せやら会議、そして飲み会がしっかりと入る。
そうそう、19日は、工房まるに外尾悦郎さんを案内して、2年前にになくなった故・加勢剛くんの「サグラダ・ファミリア」との感動の対面を実現させたりもしたなぁ。次の日記(講座案内)にもあるように、しばらくはこのペースで、夏に突入することになりそうだ。
(*)外尾さんとのセッション→http://www.usi.kyushu-u.ac.jp/news/detail/25



6/9 東アジア放送作家カンファレンス「福岡前夜祭」
100名近い作家を迎え、福岡の“おもてなし道”を存分に発揮
3ヶ月かけた準備プロセスにも参画。新たな出会いがいろいろあった。
http://www.kyushu-onna.net/network/jsp/pdf/chirashi.pdf



6/12 ウィスキーを試飲しながらのKANSEIカフェ@サントリー美術館
サントリー・チーフブレンダー、輿水さんの話は奥が深かった
「いいウィスキーをつくるために、森づくりを始めました」という一言に感激



6/13 講座の講師、石黒憲彦さん(経済産業省審議官)とともに懇親会の2次会で屋台街へ
長浜ラーメンの屋台街にもM&Aの波が訪れていた
講座では石黒さんの「志本主義のススメ」が炸裂した
http://dndi.jp/00-ishiguro/ishiguro_Top.html



6/13 夢からさめると、そこは唐津の少し手前の「鹿家(しかか)駅」だった
鹿一匹いない、漆黒の闇の無人の駅にしばしたたずんだ



6/15 透析歴20年、40歳となった篠ちゃんの健闘をたたえて
一人、目がとろーりとしている!



6/19 外尾悦郎さんと加勢剛の命が宿っている作品との対面
加勢君はガウディがもっとも大切にしていた場所から着手していたことも判明
ご家族の嬉しそうで誇らしげなお顔がとても素敵だった。
http://maruworks.org/news/?eid=493



烈やんをはじめ、まるのメンバーを一人一人励ましてくれた外尾さん
「この絵のほうが、本物のモナリザより、ずっとリアルだよ!」
Thanks!



6/20 ワークショップを取り入れた、アジア美術館のホールを借りての講座風景
アートのスピリッツが横溢する美術館での講座は、ぜいたくで幸せな時間だ



6/21 博多織デベロップメントカレッジの学生たちとの授業風景
テーマは「ニッポンのモノづくりを学ぶ」
朝9時から夕方5時までの8時間のぶっつづけ授業で学生とともに頭をしぼる
場所は共同講師である植村さんの事務所「アポロ計画」をお借りした



6/26 “Kyushu Okinawa 7”の大名・紺屋事務所に書棚が完成
造形作家タケナカヒロヒコの個性全開で、very ワイルド
木は芥屋・健治寺の境内にあったものを利用。芥屋の記憶が大名で復活



6/27 博多織の岡野さんをゲストによんでの講座
テーマは「伝統と冒険 ─ 和と織のこころ」
アジア美術館「博多織と太陽の染め」展の会場で開催
作品群に囲まれてのワークショップは、人間の気持ちを開放してくれる
http://news.1000art.jp/?cid=34423

玖珠で久留島武彦との出会いなおし

童話祭 三島会場
昨年に引き続き、大分県玖珠町での「日本童話祭」に朝から出かけた。継続は力なりで回を重ねてきた童話祭も来年はいよいよ60回の節目を迎え、あわせて日本童話祭の父ともいうべき久留島武彦氏の没後50年の年でもあるそうだ。
童話祭の「飾らない」「素のまんま」「ゆるい感じ」は昨年とかわることがなかった。福岡市・長住商店街の飯盛利明さん、声楽家・作曲家の岩崎記代子さん、プロデューサーの宮木初雄さんといった、メルヘン大使仲間のお元気な 姿も昨年と変わりなかった。

今年は、単身参加だったこともあり、祭式の後、マイペースでゆっくりとまちを歩くことができた。とくに、久留島記念館では、「日本のアンデルセンと言われた男」というよくできたテレビ番組のビデオを鑑賞し、展示資料をゆっくり見ることができた。そのお蔭で、久留島武彦との出会い直しを果たせたせし、自分なりの発見もあった。

発見といったが、記念館の壁に飾られた年譜に、1903年横浜で、博多の生んだスーパースター、オペッケペー川上音二郎貞奴とともに「お伽芝居」を創設したというくだりを見つけた。日本近代演劇の開拓者である音二郎・貞奴と童話口演の武彦の出会いというのは、激動してやまない明治の一断面として興味がつきない。この件は、川上音二郎没後100年事業を準備している長谷川法世さんにも伝えることにしよう。
音二郎との巡り会いの秘密は、記念館の壁の年譜のすぐ横に紹介されていた、武彦が口演の思想書として書いたという『童話術講話』のなかの一節にあった。「子どもに話すということは、刹那刹那の真剣勝負。一分として余裕がない、一分として隙がない」。待ったなしの空間での、子どもというオーディエンスへの直接的な語りかけ(60年で7000回!)に生涯をかけた武彦と、演劇という言葉を超える世界への扉をひらき続けた音二郎・貞奴が発していたであろうオーラの妖しい共振が目に浮かぶようだった。
じつは、武彦は100数十編の作品があるものの、作家というより、口演童話人・児童文学者として世間では知られている。生前はよく、なぜ作品をつくらないかと問われて、彼は「童話の話し手が少ない。私は書く時間があれば、それを口演にあてる」と答えている。書くという「静」の人間ではなく、語り・演じるという「動」の人であり続けたのだった。

それとも関連するけれど、武彦についての二つ目の発見は、玖珠町森の成覚寺での11歳の時の彼の経験のもつ重さである。黒染めの衣をまとった説教僧の講談口調の「クリ弁」が、少年武彦の心をわしづかみにし、説話や口演の虜にしてしまったという事実だ。日蓮宗の「クリ弁」は、当時、寺に説教僧が10日あまり滞在し、日蓮上人や加藤清正の一代記を連続で語っていったという。そんなことが、記念館におかれた資料に書かれていたのだった。武彦の「語り」「口演(口で演じる)」には、起源として深い闇の世界が宿されているのだった。
10歳をわずかに過ぎたばかりの子どもの人生を決めてしまうほどに深い影響を与えた、その成覚寺にも寄ってみた。境内の集会所では、長野県松本市から見えたという人形芝居 燕屋による肩掛け人形芝居「ねずみのすもう」が演じられていた。そして、そこには、人形芝居に目を輝かしながら見入る子どもたちの姿があった。この子どもたちの心に、さてどんな灯がともされ、将来、どんな人間をつくっていくのか。

そして、もう一つ。「日本のアンデルセン」と言われるようになった経緯も、以前、目にしているはずだけれど、改めて感じ入った。1924年アンデルセンの生誕の地であるオーデンセを訪れた武彦が、そこでたまたま出会った新聞記者を「デンマーク人はアンデルセンを充分な尊敬をもって扱っていない」と叱りとばしということが、武彦の発言として、デンマークの全国紙の、その当の記者の驚きとともに記事にされているのだった。「記念館を訪れましたけれど、きちんとしていないし、みすぼらしい」「デンマークアンデルセンの幼少の家全体を元のように維持する余裕はないのですか」「200年たたないとデンマーク人はアンデルセンの偉大さを理解できないのですか」。そして、最後は、記者の忸怩たる言葉で閉められていた。「このように日本の記者は語った。彼の国は亡き人に対して、我々より尊敬と配慮の念をもっている。我々は正しく彼と彼の言葉を肝に銘じて学ぶべきではなかろうか」。
久留島武彦というのは、明治・大正・昭和の日本を進取と開拓精神で生きた、村上水軍末裔ならではの肝のすわった、じつに気骨のある人物だったのだ!  でも今頃、こんなことを言ってては、メルヘン大使失格(笑)だなと思いながら、童話祭の会場を後にした。

 *久留島武彦→http://www.ooita.jp/~kurushima/
 *日本童話祭 → http://www.town.kusu.oita.jp/nencyu/douwasai/2008/index.html
 *昨年の日本童話祭 → http://d2.hatena.ne.jp/rakukaidou/20070505

志摩名物 “こてがい”で一杯

これがなくては始まらない
きょうは地祭りの一日となった。それにしても、地祭(じまつり)とは、野太い、不思議な響きをもった言葉だ。例年どおり、集会所にしつらえられた祭壇の前に、峰組の住民(大祖神社の氏子)が集い、11時から「天神地祇 諸災解除 八百万神 組内安全」を祈祝する、神主・小金丸さんによる祭式が行われた。天の神、地のかみ(うぶすな)、八百万の神と、ありとあらゆる神さまに感謝をし、祝詞をささげる。
 気持ちをささげます
 神事の後の膾(なます)
「福神御系図」の掛け軸が飾られた祭壇には、今年も、米、野菜、果物、魚、お汐井が供えられ、一年の息災と安全を祈願した。神主さんによると、芥屋は火事、台風など災害が多い地域だったこともあり、災厄をはらう地祭りが神事として欠かさず執り行われてきたのではという。峰組は年に1回であるが、他の組では年に2回行われるところもある。ちなみに、芥屋の神主さんは、神社を先祖代々守り続けて24代目。大祖神社は境内に承和元年(834年)奉献の石灯籠もある等、太宰府神社(919年創建)よりも古いというのが、芥屋の誇りであり自慢でもある。
神事が終わると、男ども7〜8人で、結界の札を7箇所に立て回った。場所によっては3年前、4年の風雪にたえ、同じ箇所にしっかりと立っている。ぞろぞろと結界辻を回っていると、地祭り始まった頃の、古(いにしえ)人の記憶がよみがえってくるような気がするから不思議だ。
 伝統にたち戻る
 外道・悪魔入るべからず
御神酒が回ったからだを家で1時間余り休ませた後、2時頃から宴会用の料理づくりのために再び集会所へ。宴会準備には男女それぞれの役割があって、男どもは「こてがい」という志摩ならではのふるさと料理の下ごしらえを担当する。鶏の丸体をさばき、むね肉・ささ身はもちろんのこと、骨、皮、油とすべてが大鍋に入れられ、豆腐、ニンニク、糸こんにゃくなどとともに甘辛く煮込んでいくのが「こてがい」だ。「こてがい」に供した残りは、鶏めしと吸い物となる。
 捨てるところなし
 酒がいけます
8体の鶏を、集会所の屋外に包丁、大まないたを持ち出し、戯れ言を交わしながら、各部位にばらしていく。そして、ささ身の一部は、ご褒美の「鳥刺し」に化け、男どもの前宴会に供される。ニンニクぶつ切り、唐辛子、ネギ、醤油を入れ、手でかき混ぜた、まさに男の手料理であるが、これが絶品。酒がいきすぎ、バタンキューと大いびきをあげだす御近所さんも。いやはや天下太平である。
 屋外にて宴会
 幸せすぎて・・・
で、結局は前宴会から6時からの本宴会になだれ込むこととなった。家家から40名ほどが集まっての宴会は、9時近くまで続いた。テーブルでは自分たちで作った伝統料理を食べながら、昔話、艶話に花が咲く。外来の二世帯をのぞいて、みんな親戚や幼なじみで、数十年来の付き合い。見えやはったりは通用しない。すぐに「あんた、なんば言いよっとな」と斬り返されるからだ。しかし、「地」を共有しつくりあう、不思議な安心感というか信頼感が漂っていて、とても心地よい。地域コミュニティの一般的な崩壊状況を考えると、こうした光景は、現代社会にあっては一種の奇跡といっていいのではないか。
 ともに宴を楽しむ
 じつは、年度末の組の寄りでは、「こてがい」をやめて、仕出しを注文し、負担を軽くしたらどうかという提案がなされ、かなりの時間をかけた検討がなされたのだった。しかし、結局はこれまでどおり、自分たちで「こてがい」をつくることとなった。手間暇をかけ、みんなでつくる宴だからこそ、近隣の交流が維持され、地域の伝統が継承される。この単純な原理が、いつまでも尊重され、生き続けてほしい。「地祭り」も「こてがい」、地域を再生しつづける「ローカルな知」としてなくてはならないものだ。
 みんな幸せでありますように


 *地祭り→ http://d2.hatena.ne.jp/rakukaidou/searchdiary?word=%C3%CF%BA%D7

宗教を超えようとする初期仏教の魅力

昨日、スマナサーラ長老の九州での初の講演会「お釈迦様の教え〜惑わされない生き方〜」があった。姪・明日香の誘いである。姪はこの4月から福岡で暮らして始め、精神的な独立生活に向け、現在、態勢を整えつつある。このブログでも何度か書いたが、その姪の「いのちの恩人」が日本テーラワーダ仏教協会スマナサーラ長老である。
会場となった福岡市舞鶴の「あいれふ」には100名を超す人たちが集まった(僕のよく知る友人も2人来ていた)。長老の講演に直接接するのは、1月に姪が千葉県柏市において主催したイベントに続き、これで2回目である。長老については、数冊の著作と、養老孟司さんや玄侑宗久さんとの対談本を読んでいるので、その教えについて一応のことは知っているつもりだ。しかし、同じ言葉でありながら、いつも新鮮に感じる不思議な魅力と、これでいいんだという安心感は、いったいどこから来るのか、そのことを講演の途中にずっと考えていた。
その最大の理由は、話しぶりと内容が、とても論理的で、かつ具体的であることだ。「妄想や観念、概念に依拠して、外の思考に引っ張られることから、すべての悩みや迷いがやってくるのです」「お釈迦様の教えはとても論理的で客観的。仏教は宗教ではなく、こころの科学です」と、事例やジョークをもとに展開される説話は、抹香くささからはほど遠く、カラリとしてとても小気味いいのだ。「こころを強くするための方法を具体的に提示しているのは仏教だけです」とキッパリとした言い方も、宗教の次元を超えた、突き抜けるような明るさがある。
二つ目には、「他人のことはどうでもいい、まずは自分を観なさい」「人は、生きるという将棋をやっているようなもの」、といった本質的・根源的な“ハラのくくり方”に常に立ち戻る論法が、とてもポジティブで気持ちいい。モンスーン・アジアの日本人は、どうしても「悩み続ける」のが好きだけれど、長老の説法は「ニコッと笑う。それだけでうまくいく」「将来のことを焦ってもしかたがない」「この1分で何ができるかを考えれば能力は自然と身についてくる」と、シンプルな実践倫理となっていることも、人々の共感をつかんでいるのだろう。
いずれにしても、「ひとはこころによって生きている」というアタリマエのことに焦点をあて、こころのメカニズムをひたすらに説き、メカニズム応用・実践の方法(瞑想法)を普及し続ける様は、宗教的な囲い込みや排他性の対極にあって、とてもオープンである。
こうしたことを考えながら、久しぶりに日本テーラワーダ仏教協会ゴータミー精舎)のホームページを訪ねたら、「チベット問題について 歩み寄りと和解を願う声明」とする声明文に出会った。日付は、佛紀二五五一年(平成二十年)四月十四日と記されている。声明は「生きとし生けるものが幸せでありますように、という仏教徒の願いは、敵も味方も差別しません。政治的な問題で一時的に対立したとしても、仏教徒は怨みに怨みで返したり、過去にこだわって憎み続けたりはしないのです」と説き、日本政府に対し、「中国政府とダライラマ法王側の代表者を日本に招いて、和解のための対話の場をもうけるよう努力していただきたい」と述べている。日本国において、仏教界以外、こうした声明が発されたということをほとんど聞かないのはどうしたことか?! ぜひとも読んで欲しい。
何ものにも動じないこころの強さと清らかさ、そして静かな主張と、たおやかな生命哲学。こうした知の作法というか生の技法を身につけられるかどうかが、惑わされない生き方にむけたabcでりxyzだ。ひさしぶりに仏教関係の本を読みたくなった。


 *チベット問題についての声明文
  → http://gotami.txt-nifty.com/journal/2008/04/post_7472.html

Kyushu Okinawa 7のテーブル完成

目黒・田村・坂口による共同オフィス「Kyushu Okinawa 7」の開設準備が現在進行中だ。場所は、福岡市大名の中心部、むかし紺屋町といっていたところで、ジョーキュー醤油の筋向かいの古いビルを改造して進行中の「紺屋2023」がその場所だ。「ディレクター雑居ビル」というコンセプトで、トラベラーズプロジェクト「冷泉荘」の野田君がプロデュースするビル再生プロジェクトである。2008年からの2023年までの15年間の期間限定プロジェクトということで“2023”というネーミングとなっている。

 *隣組となるアート・ベース88のブログより

その詳細はおいおい紹介するとして、水野宏建築事務所のお世話で17日から内装工事が始まった。内装工事は、貧乏オフィスゆえ当座は、ガスなし、エアコンなし、固定電話なし、、、たないないづくしである。「成長するオフィス」といえばカッコはいいが、要は、紺屋という失われた街(ロストシティ)に出現した、むかし懐かしの「ロストオフィス」といったところか。プリミティブ(原始、原型)に回帰し、そこから組み立てていくしかない、ロストセブン(笑)の矜持がオフィス空間に表出しているというわけである。ちなみに、「“ロストシティ”で行こう」というのはヒロ(下記)のアイデアである。

そのKO7オフィスの真ん中にデンと据えられるテーブルが19日に出来上がり、搬入された。ご近所の造形作家タケナカヒロヒコの作品である。実はこの机の制作には、僕もほんの少しだけ参画した。先週の土曜日の午後、家から2〜3分の工房にふらりと立ち寄ったところ、3時間ほどヤスリかけを手伝うこと羽目になったというわけだ。

数年間、乾燥のために立てかけられていた銘板(クス)の表面磨きと、テーブル中板(センダン)に彫り込まれた7連の星雲の、これまた磨きを手伝った。もとは農家の納屋であったところがヒロ(タケナカヒロヒコ)の工房である。
テーブル制作中のヒロを尋ねると、待ってましたとばかりに、「らくさんたちのKO7って一体どんなことをしたいの?」「オフィスのコンセプトは?」「どんな物語りを想定しているの?」と質問が次々に投げかけられ、「よかったらちょっと手伝っていかない」ということになった。ちょっとやってみるかということで、センダンの板を磨き終え、「この後、どうする?」と尋ねると、ヒロは「そうだ!と言って、突然電気ノコを持ち出し、器用に動かしながら板の表面に削り込みを7カ所つくっていった。この咄嗟のひらめきというか直観的な手の動きは、まさにアート。「すげぇ〜」と唸っていると、「僕は家具屋さんでなくて、アーティスなもんで・・・」「複製はなし。一つ一つが作品なんです」と泰然としている。そして、電気ノコで削り込まれた凹部を、僕が電気ヤスリをもち、工房つきの弟子(笑)として滑らかに磨きあげていった。
制作にいそしむ
なんだかんだで個人的な思いが注入されたそのテーブルが、数日にわたる制作工程を経て、本日搬入と相成った。パーツの状態でもちこまれた木塊が、現場で調整しながら組み立てられていった。ヒロとその仲間たち、和傘づくりの吉田君、陶芸作家・伸太の3人である。組み上げられたテーブルは工房で見たときよりも一回り大きい印象だ。どっしりとした4本の足に支えられフォルムは、まるで森のなかの生きもの(それは牛か熊か?)ようにも感じられる。無垢のテーブルは、どこから見ても、空間の「中心」としての存在感をアピールしている。
これから、7つの星雲が刻みこまれたこのテーブルを囲む議論から、どんなアイデアと仕事が展開してくか ─ 。もちろん、そんなことは誰にもわからない、いや、知ったこっちゃない(笑)。


 *星雲のようであり、渦のようでもあり


■タケナカヒロヒコの世界
  http://www.h3.dion.ne.jp/~aloha/

芥屋区総会 開かれる

 本年度の総会が開催された。総会は、芥屋区のいわば住民議会。年に一度開かれるのみであるが、6つの組からなる芥屋区の全員がそろって直接に意見を交わし合う、大事な集まりだ。会場は昨年に新設された、ピカピカの公民館。全235世帯の半数近くが参加して、事業報告、決算、事業計画、予算案、役員報酬、区財産台帳の明細などが順をおって審議されていった。
本年度の予算規模は約870万円。そのほとんどが自前の資金(区費や区用地使用料収入)でまかなわれる。これだけで、自治組織が維持されているのは、やはり驚きである。区の活動には、住民も出方をはじめ、様々にかり出されるが、一番ご苦労なのは役員さんたちだ。区長さんになると、やれイベントだ会議だ、地元対応だと年中飛び回っておられる。その年報はわずか50万円。町議の10分の1、20分の1の額である。組長になると、それがさらに20分の1になり、25,000円(年間!)である。ボランティアを基本とする自治の原点がここにあるといっもいいのでないか。
さて、総会では、サンセットライブが9月5〜7日に例年どおり開催れることが報告された。他方、夏の花火大会は、800円近い経費への協賛確保が年々きびしくなっているので、開催決定までには至らなかった。
それから、「へぇ〜」と思ったのは、20年に一度の伊勢神宮遷宮に伴う募金の話。2013年10月の遷宮にかかる費用は全体で550億円だそうで、その分担が福岡県は5億円、うち糸島地区で1100万円を捻出することになりそうだとのこと。「いずれご案内します」とのことであったが、お伊勢さんの話題が、なんのケレンもなく、総会で出されるあたりが面白い。